Nachico's logbook

쓰고 싶을 때에, 쓰고 싶은 말으로, 쓰고 싶은 것을, 쓰고 싶은 만큼.

2006年08月

いやぁ、良い読書をした!
新書読んでて感動して涙が出たのなんて初めてです。


少し前にめちゃめちゃ売れた新潮新書の『国家の品格』。
売れてるのは知ってた。でも読もうって全然思ってなかった。
まずもってタイトルにあんまり惹かれなかった。新書って、装丁が均一だから、タイトルのインパクトがものを言うじゃない?正直言って『国家の品格』では「お?」と手に取らせる力はそれほど大きくなかったと思う。
あまりにも売れてるもんだから、天邪鬼心で、なんとなく手に取らなかったってのもあるけどね。

そんな状況からどうして読むことになったかと言うと、きっかけは、私の大好きな教育学者の齋藤孝先生。古本屋のおすすめコーナーでふと目に付いた本『祖国とは国語』に、「齋藤孝絶賛!」ってPOPが付いてたのだ!即買い。もちろんその本の著者が、『国家の品格』の著者でもある数学者、藤原正彦氏だった。『祖国とは国語』を読んで、この人にすごく興味を持った。気付けば、何やらこの人の書いた新書が売れてるじゃない。これは読むしかない。


というわけで、今日の夕方近くの図書館で借りてきてあっという間に読んでしまいました、が、これは買いますね。借りて読む本じゃないわ。買いに行きます。線引っ張りながら(もちろん3色ボールペンで♪)、何回も読み返したいと思う本だった。

『国家の品格』ってタイトルからして、何について書かれているのか想像するのが難しいと思うし、私自身もそうだったんだけど、簡単に言えば、
「論理的・合理的な考え方(←欧米的)だけで作られた世界は破綻する。論理も必要ではあるが、社会的に安定した世界を実現するために重要なのは、文化的な情緒・形であり、日本人に受け継がれてきた伝統的な情緒や形(武士道精神など)は、世界でも稀に見る細やかなものである。こうした情緒や形は、『役に立つもの』ではないが、しかしそれこそが、国を守り、ひいては世界を守るものである」
ってな感じでしょうか。拙い要約でごめんなさい。できれば自分で読んで下さい(^^;)

著者の主張は、「なぜ論理だけでつくられた世界は破綻するのか」というところから始まっていて、すごくわかりやすい!この本が、講演記録をもとに加筆・修正されたものだってこともあってか、すごく読みやすい!

そしてなんと言っても、自分が日本人として生まれたことが、とても誇らしく思えるんです!!めちゃめちゃ日本人持ち上げてますから!!
自分にとってあたりまえだったこと、毎年春が近づくと、桜が咲くのが楽しみでしょうがなくて、数日間しか咲かないその花を見上げることがとても幸せで、儚く散ってゆくその花を見ながら切ない気持ちになることとか、夏の終わりの夜、庭で、田んぼで、たくさんの虫たちのオーケストラに耳を傾けながら月を見上げた時のなんとはない寂しさとか、そういうものが、世界的に見てもとてもレベルの高い、鋭い感性だってことが、書いてあるんですもん!!


でも、もしも、日本人が日本人が…って内容じゃなかったとしても、例えば、この本の中の「日本人」の部分が全部「ギリシャ人」とかだったとしても、やっぱりあっという間に読んでしまったんじゃないかって思う。
なぜならば、私自身、環境問題とか、戦争とか、平和とか、貧困とか、本当の豊かさとか、そういうことについてずっと考えていて、でも、結局は人間は愚かで、同じことの繰り返しで、永遠に繰り返しかもしれないだけど繰り返しじゃないかもしれないから、自分にできることをやっていくしかないのかもしれない…って、思っていたから。きっと資本主義も人類を幸せにはしないんだ、ってことがわかってきたのに、じゃあ何をしたらいいのかってことがわからなかったから。


今世界がすごいスピードで変化していて、でも良い方向に変わって行ってるって思ってる人はきっと少なくて、良い方向に変えようとする動きの中では、スローライフとかエコロジーとかロハスとかいろいろ言われてるけど、何かもっと根本的な、本質的なところが抜け落ちている気がしないでもなくて。
この本は、そういう私のかゆいところに手を届かせてくれた感じ。もちろんひとつの提案でしかないのかもしれないし、もしかして実践してみたら、そう簡単にいくもんでもないのかもしれない。でも、試してみたいって思わせる。ワクワクする。


最後の段落は、こんな言葉で締めくくられている。
「日本人一人一人が美しい情緒と形を身につけ、品格ある国家を保つことは、日本人として生まれた真の意味であり、人類への責務と思うのです。ここ四世紀間ほど世界を支配した欧米の教義は、ようやく破綻を見せ始めました、世界は途方に暮れています。時間はかかりますが、この世界を本格的に救えるのは、日本人しかいないと私は思うのです。」
まぁちょっと大風呂敷感は否めないけど、でももしかしたら本当に…と思わせるだけの内容はある。日本人しかいないかどうかはわからないけど、とりあえず日本人が率先してやらねば…!と思う。
「愛国心」という垢にまみれた言葉の代わりに著者が使う「祖国愛」という言葉を、何度も舌の上で転がしてみた。



まずは、古典を読むことから始めてみようかなと思う。そうそう、船に乗ってるときに、百人一首全部覚えようって思ったんだった。昔から習ってみたかった剣道も、挑戦してみようかな。あ、新渡戸稲造の『武士道』読まなきゃね。最近興味を持った茶道も、機会があればやってみたい…。
実際どこまでできるかわからないけど、日本の素晴らしい文化や情緒をもっと知りたいって気持ちがむくむくと湧いてきた。ワクワクする。



これを読んで興味持ってくれた人は、是非とも読んでほしい。
もしかしたら歴史に残る一冊になるかもしれないよ!?

お知らせです。

船に乗っていたときから、解約しようかなーと思っていたんだけどなかなかふんぎりがつかずにいた携帯電話を、昨日やっと解約しました!

ということで、今後わたしへの連絡は、パソコンの方のアドレスへお願いします。1日に2回はチェックするつもりです。私のパソコンのアドレスを知らない人は、ここのコメントで伝えてくれれば、ダイレクトメールで送ります。

とりあえず、来年の4月までは新しい携帯電話も持つ予定なしです。
解約した理由は、いろいろあるけど、

1.持ちたくて持ってると言うよりは、持たざるを得ないから持たされている、と感じたから

2.船に乗っているときに感じた、携帯電話のことを気にかけなくてもいい生活の心地良さを、また感じたい、今度は自分から選択して実践したいと思ったから。
  社会人になったら、もしかしたら持ちたくなくても持たなければならなくなってしまうかもしれないので、やるなら今だなと思ったので。

3.使っていた携帯電話の漢字変換機能が、あまりにもお粗末だったので。

こんなところでしょうかー。


もちろん携帯電話の便利さとか、持たないことによるデメリットも考えてのことです。不便も増えるだろうけど、それでも「携帯電話を持たない生活」はしてみたいって思ったんだよー。
心情的に言えば、4月に社会人になって、持たざるをえない…と思って持ったとしても、それなりに持ったことの喜びや楽しみは感じられると思うし、持ってなかった期間があるからこその、持った時の喜びや楽しみには、ちょっと期待もしてます。

卒論さえなんとかなれば、今の自分の生活って、すごく気ままで、なんでも好きなことできる日々。だから、人と会うのも会わないのも、連絡取るのも取らないのも、上手くスケジュール管理して、できるだけ自分だけの時間を作って、今じゃないとできないことをしたいって思った。考えたり、本読んだり、文章ひねったり、旅に出たり、孤独を感じたり、ね。


ここのブログやmixiを見てない人には、徐々に連絡していくつもりです。たぶんのらりくらり連絡するので、ここを見た人で、私が携帯電話を解約したってことを知らない人に会った人は、伝えておいてもらえるとありがたいです。


ではではー。

 

二宮金次郎。またの名を二宮尊徳。
知ってますよね?そうそう、小学校の校庭の隅で、薪背負って本を読んでたあの人です。

うちの小田急の最寄り駅は「栢山(かやま)」と言いますが、何を隠そうこの栢山、二宮金次郎の故郷なのです。小さい頃から、あの小学校の校庭の隅で、薪を背負って本を読んでる人(笑)はこの土地の生まれだとは何度も聞いてたし、復元された生家&尊徳記念館の前もしょっちゅう通ってました。小学校の課外授業みたいのでも行きました。小田原市民にとって、と言えるかどうかはわからないけど、少なくとも栢山をホームステーションとしている人々にとっては、これは耳タコで、あまりにもあたりまえの話。
でも、よくよく考えてみれば、その二宮金次郎さんが何をした人なのか、全然知りませんでした。えぇ、実は今日まで。小さい頃に家にあった漫画の伝記シリーズにはちゃっかり『二宮金次郎』が入ってて(一般的にどうなんだろう?)、それを何回も読んでいたにも関わらずね。
もっと言えば、小学生の頃なんて、そこまで有名な人だとも思ってなかったです。地元の産だから、大人たちは贔屓目に、子供たちにはかなり有名っぽく言ってるんじゃないかって思ってました。あの有名な像も、小田原市内の全小学校にあるものであって、まさか全国の小学校にあるとは思ってなかった記憶があります。あまりにも近すぎて、日本史における彼の重要度を
客観的に聞く機会がなかったんだと思います。あとは、なんとなくいろいろと知っている気になっていて、その気になればいつでも調べられるし…と思ってしまっていたのかもしれないですね。


そんなこんなで、私も齢二十三まで成長し、たくさんの人や本に出会う中で、あの「二宮金次郎」は、別名「二宮尊徳」とも呼ばれ、日本史概観レベルで見ても、けっこう有名な人らしい…と言うことがわかってきました。
なんと言っても、その筆頭は、私の好きな勝海舟の『氷川清話』。この本の中で、本当に短い文章だけど、勝先生が二宮尊徳をべた褒めしてたことを知り、改めてそんなにすごい人だったのか…!と思ったんです。それでなくとも、自分の好きな歴史上のヒーローと自分の地元出身の有名人が、会ったことがあるっていうそれだけで、なんかワクワクしちゃいませんか!?
日本史は幕末の動乱にしか興味のなかった私だけど、せっかくこんなにも身近なところにすごそうな人がいるんだから、せめてその人が何をしたのかってことくらいは知っておいた方がいいんじゃないかなぁとは、思い始めていました。

そんな気持ちを後押ししたのが、毎日サイクリングで走る酒匂川(さかわがわ)の堤防の、松の並木。ここまで書いただけで、何の話をしようとしているか、わかる人にはわかるでしょう。二宮金次郎が、子供の頃、洪水の害を防ぐため酒匂川の堤防に松を植えたという話は、地元ではとても有名なのです。私も、小さい頃に漫画の伝記で読んだり、学校で先生に教わったりして、その話はすごくよく覚えていました。だから、毎日松並木の間を走りながら、「この松は、金次郎が実際に植えた松なんだろうか?それとも、後世に植えなおされたもの?」という疑問が浮かんでたんです。
もし本当に金次郎が実際に植えたものが残ってるとしたら、それってすごいことだと思いませんか?あの、勝海舟に会った二宮尊徳が、ずっと昔に確かにここに立っていて、この松の木を植えた、この松の木を触っていた。その松の木を、時を越えて、私が触る。金次郎と、勝先生と、私が、すごく細い線で、でも確かに繋がる。これこそが歴史ってものの面白さの醍醐味じゃないのか!?なんて思って、とてもワクワクしてしまいます!!

そういうワクワクに引っ張られて、やっと二宮金次郎その人の伝記を改めて手に取るに至りました。今回まず読んだのは、図書館にあった『二宮金次郎』(偉人シリーズ この人を見よ◆]妥椎鄰 童話屋)。文庫サイズで317ページしかないのに、お値段なんと1500円+税!!!!(゜□゜;)!!!何故!?…というのは全くの余談で(笑)、値段が相応かどうかというのも置いておくとしても、とても読みやすくて良い本だと思いました。どちらかと言うと子供向けの本なので、さらっとでしたが、彼がどんな人で、どういう信念を持ってどんな仕事をしたのかが、とても良くわかりました。そして、すごく感動したし、こんなに素晴らしい人と同郷だなんて、私たち小田原市民はもっと誇っていいんじゃないかなって思いました。これからも、ちょっとずつでも彼のことをもっと勉強して、人に伝えていきたいって思いが生まれました。

結局彼が何をした人かってことを知らない人がいると思うので、軽く触れておきますと、早い話が、「財政建て直し屋さん」と言ったところでしょうかね(この財政建て直しの仕事のことを「仕法(しほう)」と言います)。12歳で病気の父の代わりに働きに出て、14歳でその父を亡くし、16歳で母も亡くし、親戚の力を借りながら、24歳で家を再興したのが最初の大仕事。その後武家奉公人を経て、小田原藩家老服部家の仕法を任され、それに成功するや、今度は藩主の大久保忠真の目に留まり(小田原藩の殿様が幕府の老中だったってことも、恥ずかしながら、初めて知った!)、大久保家の分家、宇津家がある下野国桜町領の仕法を任されました。これは、彼の人生を代表する大仕事だったと言えると思います。その後、烏山藩、小田原藩、相馬藩、天領真岡、日光神領等々、約600ヵ村もの農村復興に尽力したそう!日本で最初に信用組合を作ったのも、この人だそうです。天保の飢饉の時に、小田原藩の藩倉を開かせ、領民たちを飢えから救ったという話は、なんだか他人事じゃないような気がしました。その領民の中には、私の先祖もいたのかもしれない…その人がそこで死んでいたら、私はこの世にはいなかったのかもしれない…。またちょっと繋がりました。
子供向けの本だから、わかりやすいように多少脚色して書いてあると思うし、天才的なエピソードの数々も事実かどうか確認できないものが多いらしいけど、それを差し引いても、彼の働き、彼の考え方には、感服せざるを得ないです。


小さな努力の積み重ねが、やがて大きな収穫や発展に結びつく。
強いものが弱いものを助け、慈しむことが人道。
間の徳、真心と努力と勤労をもって、天使自然の徳に報いる。
自分の分度をわきまえ、それにふさわしい生活を送る。
節約によって余った分は他人や社会のために使うことで、人間らしい幸福な社会ができる。
民が飢えるのは、民が悪いからではなく、政治がわるいからである。
「経済を忘れた道徳は寝言である。道徳を忘れた経済は罪悪である。」

彼の教えや考え方を書き始めるとキリがないけれど、ひとつ確かに言える事は、この江戸末期に活躍した、「農民の中の農民」「日本人の中の日本人」とまで言われる「財政建て直し屋さん」の思想は、現代の私たちにとっても、とても大切な教えであると言うことです。いや、現代に生きる私たちにこそ必要な考え方ではないかな?
少し長いけど、現代社会にも正にあてはまる…と思った箇所を引用してみますね。

「『衰微のあらわれるには、かならず、その根源があるのです。富者となるも、貧者となるも、かならず、そのいわれがある。よろしいか。聖代の御世だからといって、月や日が光を増したのでもなければ、土地が広くなったのでもない。天から金銀を降らせたのでもなければ、地から宝がわいたのでもない……。また、世がみだれて、人民が難儀する時でも、月日が光を減じたのでも、土地が狭くなったのでもない。田畑に作物が生じなくなったのでもない……。しかも、貧富、盛衰のあるのはなぜかというと、それは、道の盛衰があるからで、つまり、道の盛んな時は、国は栄え、道の衰える時は、国はおとろえる……。おわかりか。』(中略)『道とは……それは人道のことだ。人道とはなんであるか。それは、人々がたがいに協力し、一体となってたすけあう道のことです。だから昔の明君、賢君は、君と民を一体とし、苦しみとたのしみをともにしてあいたすけあう道をさかんにされたのです。才能あるものは、ないものを、富めるものは、まずしいものを、たっしゃなものは、弱いものを、たすけ、いつくしみ、国じゅう一家のごとくしたのです。これこそが、人道なのだ……。もしも、この道がおとろえるならば、君と民ははなれさり、富者は貧者から利をうばい、貧者は富者をうらむばかりで、働こうともしない。ついにはたがいに目をむいて、あいあらそうようになる。これすなわち人道の衰微であって、国がほろびる根源です。」

時代が変わっても、経済や社会のシステムが変わっても、人間って変わらないものだなぁとつくづく思います。ここで言われている「国」とは、いわゆる藩のことで、江戸時代には今の都道府県くらいの範囲が「国」の感覚だったわけですけど、今はこの「国」の部分を、日本やアメリカなどの国、もしくは地球全体と考えても、この論は通るのではないかと思います。ある意味、この世の真理じゃないかしら。
人々がたがいに協力し、一体となってたすけあうこと…。


全国の小学校では、金次郎の像が減りつつあるそうです。理由は、「児童が像の真似をすると、交通安全上問題があるから」だとか。。。アホかぁぁ!!(おっと、口が悪くてすみません)そんなの、金次郎が何故こうして本を読んでいるのかということや、江戸時代と現代の違いや、交通ルールをきちんと説明すればいいことじゃないの。むしろ、いい話のネタになるのに。小学校の先生がそのくらいできなくてどうするんですか!!(怒)
まぁ、他にも、金次郎が実際にそういう姿で歩いていたという事実が確認できないからとか、もともと昭和初期に修身(後に皇民化教育の一翼を担う教科)の象徴のような形で建てられたものであるからとか、諸説はあるのだけれど、何にせよ、実際のことは興味を持った後に調べてみればわかるわけで、でも像が姿を消してしまえば多くの小学生たちは、きっと金次郎のことを知るきっかけも得られないまま大人になっていくわけで、とても残念なことだと思います。

去年、新しくなった小田原駅の東口デッキには、金次郎がいますよ。
小田原にお越しの際には、ぜひ確認してみて下さいね。


今日の走行距離:約25.5km
走り方:ニコニコペース走
サイクリングロードの往復時間:8:43〜9:40 約57分(休憩なし)
今日見かけたサイクリスト:3人

どうやら今日は狐の嫁入りらしい。

今日の走行距離:約40.5km
走り方:ニコニコペース走
サイクリングロードの往復時間:7:26〜9:44 約138分(休憩20分)
今日見かけたサイクリスト:16人

今日は、サイクリングロードを2往復してしまった!!
疲れたけど、気持ちよかった!!

このページのトップヘ