2006年09月

卒論始動!

こないだの土日を使って、静岡県の掛川市に行ってきた。

卒論のフィールドワークの下見といったところ。

掛川は、まちづくり発祥の地らしい。

「生涯学習」という言葉もこのまちで生まれたらしい。



私は、自転車とスローなまちづくりをテーマにしたくて

この掛川をフィールド候補として選んだんだけど、

お世話になったNPO「スローライフ掛川」の人たちからも

自発的に自分たちのまちを変えていこうという姿勢がすごく見えて、

ハキハキとして楽しそうで、それでいて型にはまってないというか

なんでもありというか、良い意味で「好い加減」なところも垣間見え、

さすがまちづくり発祥の地、生涯学習のまち、と思った。

とても刺激的な2日間が過ごせました。



会ってすぐに打ち解けられるコミュニケーション能力をもっているか

どうかというのを、私はよく、ピーセン(ピースボートセンター)の雰囲気と

比較して判断するのだけど(ちなみにピーセンでは、会った瞬間友達・タメ語、

という世界(笑)
)、スローライフ掛川の人たちにも、それに近い空気を感じた。



自分の自転車を持参して参加させてもらったサイクリングでは、

2日間で90kmくらい走りました。

卒論のとっかかかりもなんとかつかめたし、動き出そうと思います。


9月23、24日データ
総走行時間:7゜03′35″
総走行距離:91.31km
平均時速:12.9km
最高時速:46.0km

白露に…


  白露に 風の吹きしく 秋の田は
     つらぬきとめぬ 玉ぞ散りける 

                文屋朝康

 この歌の間違いがわかった人には、10点あげます(笑)。



さっき、最後の携帯電話料金を払いにコンビニに行ったんだけど、家を出るときに雨が降っていたので、自転車はやめて、散歩がてら行くことにした。ロングスカート(船でもよくはいてたパッチワークのやつ)に下駄はいて雨の中を歩いてたら、足は濡れるし、スカートの裾も濡れそうで気になったけど、昔のお侍さんとかもこんな感じだったのかなって思った。その頃は靴なんてなかっただろうし、下駄履ける人はまだいい方で、多くの人が雪駄だの草鞋だのを濡らしながら歩いてたに違いない。きっと、雨が降ったら濡れるのがあたりまえで、ちょっとやそっと濡れることなんて、全然気にしてなかったかもしれないなーとも思った。濡れたって、帰って拭けばいいだけの話だ。

田んぼが黄色と黄緑のグラデーションになっていて、すごくきれいで、田んぼにむかって「ありがとう」って言った。

稲穂に雨の露が残っていて、「つらぬきとめぬ 玉ぞ散りける」の歌を思い出す。最近、一日十首ずつ、百人一首の歌を覚えているところなのだ。今日は風が吹いてなかったから、その雨露に玉(真珠のことだよ)を見るってだけのものおもいだったけれど、こうして散歩の途中で見た景色に、思い出せる歌を自分の中に持てているってことは、うれしいことだなぁとしみじみ思った。それから、考えたんだけど、草木の露を玉と見る歌はそれだけでもう十分素晴らしいけど、その露が、風で散らされる風景ってのは、すごく瞬間的で動いている風景であって、それを切り取ったこの歌をつくった文屋朝康って人は、良い感性と同時に良い観察眼も持ち合わせていたんだろうなぁなんてことも思った。

実るほど 頭を垂れる 稲穂かな
なんてのも思い出したり、ね。




ちなみに、正しい歌は

  白露に 風の吹きしく 秋の
     つらぬきとめぬ 玉ぞ散りける

です。






昨日一日

生まれて初めて寄席(よせ)に行きました。
一緒に地球一周した友達と。
新宿、末廣亭。
面白かった!
なんだ、落語って全然身近じゃん、って思った。
テレビで見る漫才と目の前で見る漫才は違うな〜と思った。
船の友達の中には、菊千代師匠の影響で落語に興味を持った人もいるんじゃないかな?(てゆーか、私がそうだし)
寄席行ってみたい人!今度一緒に行こー!


東京でのんに会った。
のんも一緒に地球一周した友達。
韓国語好き友達でもある。
青年海外協力隊員として、年末からボリビア(私の一番行ってみたい国!!)に派遣されることが決まっているのん。
お酒飲みながら、いろいろと話が聞けて面白かった。
そして、のんがボリビアにいる間に絶対遊びに行くって宣言した!
楽しかったよー、のん。ありがとう!


この本を読んだ。
『水は答えを知っている』江本 勝  サンマーク出版
おすすめです。
「ありがとう」と声をかけた水は、六角形のとても美しい結晶を結び、「ばかやろう」と声を掛けた水は、ばらばらに砕け散ったようになって結晶を結ぶことができない…。
こんな話、どこかで聞いたことないですか?
「科学的」にはなかなか立証できないことについて書いてあるから、結局は信じるか信じないかってことになっちゃうのかもしれないんだけど…、私は信じたいと思う(でも素人目で見るとけっこう科学的な方だと思うけど)。
世界を変えるのは、愛と感謝であること。
世界のあらゆるものは、振動し、かつ固有の波動を持っていること。
全ての人に、次の瞬間の世界を変える力があるってこと。
私たちには、まだまだ知らないことがい〜〜〜〜っぱいあるんだよな、ってわかった気がした。

「ありがとう」って、もっとたくさん言おうと思いました。

時間と言葉と未来と希望

2001年、アメリカの同時多発テロで亡くなった方々のご冥福を、
心よりお祈り申し上げます、

なんて、

そんな言葉じゃなくて、不器用でもいいから、その人の言葉で、その人の持つ文化と信仰で、5年前のテロを思い、気持ちを表現して欲しい。「思い出すだけで悲しい」でも、「思い出して悲しめたらいいけど今やそうではなくなってしまったくらいに時間が経ったことが悲しい」でもいい。実態を伴わない言葉なんていくらでも連ねられる。祈るって言う行為は、祈る対象がはっきりして初めて意味を持つ。


グラウンド・ゼロという言葉がいまや代名詞となった、ワールドトレードセンターの跡地には、メモリアルの高層タワーが立つことになるらしい。言葉は悪いけど、ばかじゃないの、って思う。そんなことしたら、マンハッタンはただのマンハッタンに戻っていくと思う。あの摩天楼連なるマンハッタンで、突然現れる空間、それがあってこそ人々は、あの日を長く思い起こし続けることができるんじゃないの。きっと、めちゃめちゃ土地が高いんであろうあのマンハッタンで、きっと経済的に考えたら相当無駄使いになるであろう空間。でも、それは必要な「無」なんじゃないの。


詮無いことだけれど、時間が経ち、言葉の重みが薄れ、様々なことが、今ある現実を優先させて進んでいくことを、悲しいと思う。

思うけど、

いつまでも悲しみをひきづっていることが最善なわけじゃないってのも本当。忘れることができるのは、幸福なことでもある。大切なことは、常に覚えておくのは不可能でも、ことあるごとに思い出して、持ち続けていかなければいけないし、伝えていかなければいけないけど、心を覆う暗い闇は、ずっと持っていく必要はないのだ、きっと。ポジティブに考えることが、薄情のように感じられてしまう時もあるけれど、ハッピーに生きていくことが間違っていることなわけない。

持ち続ける、でも、明るく前を向いて生きていく。

平和をつくるのは、ポジティブでハッピーな思想と、元気で勇気ある行動だと思うから。



 

 

サクたま日誌 特別編〜旧子さんの巻〜

今日の走行距離:約25.5km
走り方:ニコニコペース走
サイクリングロードの往復時間:9:30くらい〜10:30くらい
今日見かけたサイクリスト:14人


久しぶりに酒匂川のサイクリングコースを走った。
田んぼが黄色くなってた。
夥しい数の蜻蛉が飛んでた。
子供が川で泳いでた。私も来年は川で泳ごうかな…。



さて、タイトルにある旧子さん(ふるこさん)ですが…
自転車のことです。

旧子びふぉあ

 

 

びふぉあ

 

私が自転車に興味を持ってから、今日まで一緒にサイクリングをしてくれた旧子さん…。なぜ旧子さんかと言うと、もちろん、明日新しい自転車がうちにやってくるから…!!(笑)

そう!注文しておいたロードレーサー、明日納車なんです!!!なので、もちろん明日からのサイクリングはその新しい自転車と。旧子さんとは涙のお別れです…(;Д;)
旧子さんてのは最近つけた名前だけど、思い起こせば、旧子さんとの出会いは10年前に遡る。中学生になり、自転車通学の身となった私に母が買ってくれた生まれて初めてのフラットバーの自転車…(あ、フラットバーってのは、ハンドルがまがってなくて真っ直ぐってことね、ママチャリって大抵まがってるじゃん、それがカッコ悪いと思ってたんだよね)。お姉ちゃんのお下がりじゃない、私のためだけの自転車…。身長148センチの私に、27インチのタイヤ…もちろん足なんてつくわけないし…。(てゆーか、中1の時点では、もっと身長低かったのでは?)それでもなんとか、停車するたびにサドルを降りる、というなんともめんどくさいことを習慣として体に染み付け、乗りこなして来たこの10年…。気付いたら10年…。カゴが普通のママチャリよりも大きくて、実は中学の時とか恥ずかしかったんだけど、でもやっぱり大きいカゴはなにかと便利だったこの10年…。地元神奈川は茅ヶ崎にある世界的自転車メーカー、宮田工業の会社説明会に行った時、「みなさんは、今乗っている自転車、何年間乗っているものですか?」と聞かれて、「ちょうど10年です」と答えたら、驚かれた、そんな10年と言う月日…(輸入物の、安っ〜い、質の悪い自転車がママチャリの主流となっている今、10年間同じ自転車に乗っているというのはすごいことなんだって。それだけで、その自転車は間違いなく国産だってわかるらしい。)。そんな10年という月日を一緒に過ごした旧子さん…さようなら…うまいこといろんな部品に解体されて、できるだけリサイクルされるんだぞぉぉぉ…(よよ落涙)。
というのは全然うそでw、新しい自転車がやってきても旧子さんには乗り続けます。だって、6万もする自転車、バイトの最中に盗まれたら…!!って考えたら、バイトには乗って行かれないし。泥除けついてない&スリックタイヤ(細〜いタイヤ)だから、雨の日には乗れないしね。

旧子あふたあ

 

 


あふたあ

 

サイクリングを始めて1週間後くらいかな?ご自慢の大きなカゴ(しかし空気抵抗も最強)と、チェーンカバーならぬベルトカバー(そう、旧子さんはチェーンではなくベルトなのです)をはずさせてもらいました。だって、重いんだもん。とりあえずちょっとでも軽くしたいなぁーと思って、素人なりに思いついた軽量化ポイントが、カゴとチェーンカバー。なかなか軽くなったよ、やっぱ。特に、カゴがついてる自転車に乗りなれてる人にとっては、カゴがないってだけで、なんだか爽快(と、思う)!

そんな、ちょっと軽くなって私のサイクリング生活を演出してくれた旧子さんだけど、それでも最近は、やっぱり「重いなぁ〜」って感じてた。スポーツバイクに乗ったことがあるわけでもないのに、「ママチャリの重さは13〜14kg、重いやつだと18kg
くらいある。それが、スポーツバイク、特にロードレーサーだと、10kg前後。坂道を上る時、それは実感としてわかる」なんていう知識だけはしっかり吸収してしまい、その日から、10kg切るロードレーサーで坂道をスイスイ登っちゃう自分を思い描いてたからね。

給料日も迫ってきて、もう欲しいスポーツバイクを選んで買うことができるってとこまで来てたからってのもあったし、なんかいよいよって感じで、そうなると、もう旧子さんでは物足りなくなってしまったのよね。たぶんそれが、ここんとこ私がサイクリングをさぼり気味になってた大きな理由のひとつではなかったかなーと思います。



明日から!いよいよ私のサイクリストライフが始まります!!(>▽<)ヘルメットも買ったし、グローブも買った。NEW自転車には、サイクルコンピュータ(メーター)まで付けてしまった…!!ワクワクで、ドキドキで、もっともっと速く、もっともっと遠くまで走れるようになろう…!!って考えてる。
けど、ね、
それよりも大事なことは、このワクワクを忘れないこと、このドキドキを周りの人たちに伝えていくことだって思ってる。自転車なんかただの交通手段でしかないと思ってた私が、こんなに自転車で走るってことにこだわるようになって、頑張ってバイトして自分で稼いだお金で、自分で選んだ自転車を買った。
でもこれは、全然特別なことなんかじゃないし、誰にでもできること、誰にでも楽しめること。定年退職した団塊の世代の、老後のエネルギーの行き先、趣味やライフワークの最有力候補として、自転車は挙げられている。

旧子さんの「ふる」を「古い」じゃなく、敢えて「旧い」にしたのは、この字のほうがなんだか伝統的な、日本的な、少し奥ゆかしい、軽い言葉で言えば「オシャレな」ふるさを感じさせる雰囲気があったからってのもあったけど、「旧い」には「時代遅れの」っていう意味合いがあったからってのもある。旧体制。
ママチャリは確かに便利だけど、自転車に乗る本当の歓びを味わうには、かなり物足りないシロモノなのだ。重い。あんましカッコよくない。
ママチャリ全廃!なんていうつもりは毛頭ないけど、現代日本人の中の「自転車=ママチャリ」「一般人が乗る自転車と言えばママチャリ」という図式が解けていけば、きっと日本にも、オランダや、ドイツや、北欧の国々のように、自転車中心の街がいくつも現れるようになると思うんだ(それは、東京のような大都会でだって可能だ)。そんな街が日本中に、世界中に増えていったら、街にはきっと今より笑顔が増えると思う。そして、二酸化炭素は確実に減る…。

そんな思いも籠められた、旧子さんなのでした。



これからもしばらくお世話になります!!



 

ひさしぶりのサクたま日誌 9/4

今日の走行距離:約18.75km
走り方:ポタリング
走行時間帯:16:30くらい〜18:00(お腹すいた〜)

今日は、自転車屋さんめぐりに行きました。次の給料日に手に入るお金で、やっと新しい自転車が買える(!)ので、そろそろ注文をしなくてはいけません。しかし、自転車屋さんを選ぶのはとても大事。買った後も、メンテナンスとか、パーツの交換とか、何かとお世話になるのです。きちんとした技術と知識があって、対応が良く、そこそこ儲かってそうなお店が良い。タウンページで10くらいの自転車屋をピックアップし(この時点では家からの距離が選択基準)、レッツゴー!

…と。詳しく書いてもいいんだけど、たぶん面白くないし、そろそろ眠いので、結論だけ書きます。

Mサイクルショップに決定!まぁこの店は前から知っていて、今日の自転車屋めぐりに行く前から本命ではあったんです。小田原に、こんなにスポーツバイク置いてる店あったんだ!?ってくらい、結構取りそろってるし、対応も良い感じ。実際今日の自転車屋めぐりは、本当にMサイクルショップでいいのか、他に良い自転車屋を見逃してないかを確かめる意味合いが大きかったのでした。バイト先のそばのチェーン店の自転車屋も、割と大きくてラインナップも悪くはなかったけど、やっぱりテナント感が拭えず、私の大切にしたい「町の自転車屋さん」的雰囲気が薄かったので、没に。

決まってしまえば、後は行って注文するのみ!
実は車種ももう決めてます!てゆーか、さっき決めました!
自転車につける名前も決めてます!


うわ〜!いよいよですよ〜!

 

数学美

みなさんは読みましたか?
『博士の愛した数式』(小川洋子 新潮文庫)
とても素敵なお話です。
美しくて、温かくて、切なくて、深い物語。

私はこの小説を春に読んで、「もう一度、ゆっくりでいいから数学を勉強しようかな」と思いました。高校時代の友達が聞いたら、きっとびっくりするような言葉でしょうね。なんてったって、ずっとずっと数学大嫌いでしたから。テストはほぼ毎回赤点だったし、わからなすぎて授業中に泣き出したことまであります。あぁ恥ずかしい思い出。

夏になって、数学者・藤原正彦氏の『祖国とは国語』という本に出会ったのは、8月30日の記事にも書いたとおり。この時点では、その「もう一度勉強しようかな」って気持ちは、まだ何も形にはなってませんでした。この本を手に取ったのも、数学となんら関係なかったし(むしろ完璧に国語だ)、私はこの本で初めて、藤原正彦という数学者の存在を知ったくらい。でも、この本に収録されていた「数学は宝石箱」と「この世は数学だらけ」というエッセイを読んで(ちなみに、買った時点で私が読みたかったのは「国語教育絶対論」という部分のみ)、期せずして、またしても数学の面白さに触れることとなったのでした。

友達に「文系でプログラマーはきついと思うよ」って言われたのもあるし、なんかこう立て続けにひとつのキーワードが目の前に現れると、これはきっと何か意味があるんだって思わずにはいられない。これはきっと数学を勉強し直すチャンスなんじゃないかぁ〜って、思えてきました。

と、いうことで、先月の中旬くらいに、本屋で中学数学の総復習的な問題集を買ってきてみてしまいました。が、買ってきてから、しばらく放りっぱでした。やる気あんだかないんだか。「やりたいな〜、やったら案外楽しいかもしれない、中学レベルだったらまだ全然優しいだろうし…でも、もしもその中学レベルで全然駄目だったら、凹むな〜、てゆーか、中学でやったことなんて全く覚えてないし…」こんな感じで。


昨日、ひょんなことから『博士の愛した数式』を読み返し始めたら、相変わらずいい話で、止まらなくなってしまい、さっき読み終えたんだけど、やっぱり数学勉強したい、って思いました。
博士の言葉はとても素敵です。まだ読んでない人、是非読んでみてね。主人公の家政婦さんは、本当に何の変哲もないただの家政婦さん。でもだから、そういう普通の人が、数字に愛着を覚えていく過程が、あぁ私もきっとこうして数字を好きになっていいのだし、なっていけたら楽しいだろうなぁ、って思わせてくれます。



数学は、人間が発明したものでもなんでもなくって、世界が生まれた瞬間からそこにある。神様のノート。神様の編んだレース。小説の中では、その美しさが繰り返し繰り返し描かれています。数学が全然わからない私でも、その美しさ、偉大さ、矛盾のなさを感じることができる(博士の魅力に拠るところが大きいかもね)。
でも、その美しさの欠片でもいいから、小説の力を借りるのではなく、自分の力で味わえたなら、どんなに幸せだろう、どれほどの感動だろう。
そう思ったから、少しずつでも、毎日一問ずつでも、勉強していこって思いました。




何より、自分が数学に対して抱いていた嫌悪感、諦め、無関心、そういうものが、とってもネガティブなものだってこと、私は気付いていた。でも、周りもそうしている人ばっかりだし、そのネガティブさを補ってあまりあるポジティブさを他の教科に対して抱いていたつもりだったし、特になにかきっかけがあったわけでもなかったから、このままでいいやーって、思ってた。算数ができないと生きていかれないけど、たぶん数学はできなくても、生きてはいかれる、だからいいじゃん、って思ってた。
でも、こうして今すごく良い形できっかけが与えられて、自分の中に長い間巣食っていた、もう死ぬまで持っていてあたりまえだと思っていたネガティブなものを克服してみようって気持ちが生まれた。これって、けっこうすごいことかもしれませんよね?



2度目を読み終えた『博士の愛した数式』。文庫版の解説を担当していたのは、なんと、藤原正彦氏でした!初めて読んだ時も目を通したはずの解説。名前を知らないっていうことは、その人が自分の中で存在していないも同じことなんだなぁ、と思いました。しかもね、その解説を読んでいくとね、解説を担当、どころか、この小説は小川洋子さんが藤原さんに取材をして書いたものだってことが書いてあるじゃありませんか…!
完全に繋がった。


問題集解きつつ、次は藤原氏の『若き数学者のアメリカ』を読もうと思います。実はもう買ってあるんだ。それから、『博士の…』の巻末に参考文献として載っているいくつかの数学に関する本も。数学への苦手意識がなくなったら、自分の前にすごく新しい世界が広がるような気がしてます。



なんだか

うがぁぁぁーーー!!!

って感じで、イライラしています。
ごきげんでいたいのに。

「いいことがあってこその笑顔じゃなくて 笑顔でいりゃいいことあると思えたら それがいいことの序章です♪」
って、ミスチルの歌詞も浮かんでは消えるけど、頭ではわかっててもなかなかできない時もあります。

本を読んで感動したり、友達からうれしいメールが来たりすると、テンション上がって「お!これは浮上のチャンスでは!?」とか思うけど、結局それはそれで終わってしまって、せっかくのチャンスを逃してしまったーと思って、余計へこんだり。でも、最近はそのパターンも見えてきたんで、「浮上のチャンス!?」とか思い込まずに、外側から来るものに頼らずに、ちょっとずつでいいから自分の中から進めるきっかけを探すようにしてるけど。これが結構つらい。甘えてるんかなー。でも、必要なつらさなんかなー。

疲れたー、とか、だるいー、とか思って、今は立ち止まって考えることを自分に許す!とか(たぶん)やっちゃってるけど、寝すぎて眠い時みたいに、エネルギーが良くない感じで溜まっちゃってる気もするんだよな。最近自分用の日記も全然書いてないし。
もしかしたらそれが原因のひとつかも…!って思い当たることがあるにも関わらず動き出せないこの感じ。嫌だなぁ。なんなんでしょう。


サイクリングは、したりしなかったりです。
してもサクたま日誌ひとつつけられないこのやる気のなさ…。
…。
自転車に乗るってことは、自分の生活の中でかなり重要度を占めて来ているし、サクたま日誌はサイクリングを習慣付けるためのひと手段だったのだから、もうここらで辞めるのもありかなぁ〜?なんてこのやる気のなさに惑わされて思ったりもしてしまいましたが、私の影響を受けて自転車に興味を持ち始めてくれてる人がいるってことがわかってきたので、やっぱ続ける!
世の中にとって、人類の幸せにとって、意義のあることを知ってしまった人は、それを周りの人に伝える義務があるのだ!
だから書きます。平和のことも、読書のことも、自転車のことも。


書きたいと思って書けてない(得意の先延ばし…)バイトのこと。
今日も、売れ残った大量のクロワッサンを捨てました。
はぁ・・・。
なんなんでしょう、本当に。
捨てるときには、小さな声で「ごめんなさい」って言う。せめてもの償い(?)に、お客さんへの「ありがとうございます」は、笑顔で、心をこめて言う。
言霊。
それしかできない。

明日もバイトだー。


「めちゃめちゃ忙しいけどめちゃめちゃ楽しい」が、またやってきますよーに。
…とか言いつつ、忙しくなってほしくないって思ってる自分がいるからいつまでもこんなんなのかもしれんけどね。

まぁなんだかんだ言って気ままだと思います。贅沢な悩みなのかも。こんな風に悩んでることが、今私を成長させてるんだよなー、なんて完璧俯瞰できたら、上級者ですね。(でもその程度の悩みってことじゃないん?ってツッコまれそうですが)

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