2006年11月

ながーいながーい北海道旅日記(写真満載)・その5

「その5」です。
ここまでのを全部読んでくれた人、すごいと思います。
ありがとうございます。

やっと書きあがりました。
こんなに長くなると思いませんでした。
途中やっつけで書いたようなところもありますが、想いを込めて、言葉を選びに選んで書いたようなところもあります。


これで最後です。
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ながーいながーい北海道旅日記(写真満載)・その4

「その4」です。

おととい中に全部アップしたかったけど、思い通りにはなかなかいかないです。でも、あと1日分。もうちょっとだー。
これを書いてるせいで、なかなか卒論に本格的に取りかかれないっていう事実があるんだけど、これのおかげで、とにかく文章の量をこなすという訓練になってることも事実です。

この日記は、人に読んでもらう目的もあるけど、自分にとってのメモ書きとしての目的もあるから(思ったことを忘れないように書き留めておくってこと)、別に人に旅の話をするだけなら話さなくていいようなことも書いてると思う。書いておきたいことだから、削れないんだよね〜。いや、削ってる部分もあるよ。削ってこの量なんだと思います。

全部読んでくれる人とかっているんだろうか?いたらよっぽど物好きだね。しかもそれがケータイで読んでくれてたりしたら、やばいね。キングオブ物好きだね。
でも、物好きな人って、好き。

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ながーいながーい北海道旅日記(写真満載)・その3

お待たせしました。
とか言って、待っててくれた人はどんだけいるんでしょう。いるんだとしたら、それがたった1人でも、ありがとう。

いやはや、書き始めると止まらないものですね。短くしようと思っても、出来ないし。


ということで、「その3」を読みたい方は、下の「続きを読む」からどうぞー。

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誰か教えてください。

質問です。

mixiでは、日記(ブログ)を更新すると、マイミクになってる人に、日記のタイトルが表示されて更新されたことがわかるようになってるけど、今日の私みたいに、1日に何個も記事を投稿した場合、その全てが表示されるのでしょうか(投稿した順に)?それとも最新の1件のみが表示されるのでしょうか?
気になっているのです。

誰か教えて。

ながーいながーい北海道旅日記(写真満載)・その2

その2です。
以下、その1と同文です。


気付けば北海道の旅からもう1ヶ月。
卒論やら写真展の準備やらに追われて、旅日記のアップもどんどん後回しにしてしまってました。

今さら感満載だけど、やっとのアップです。でも、とりあえず半分だけ。なぜかというと、半分しか書けてないからです。自分を追い込むために、出来上がってる半分を先にアップして、残りを頑張って書き上げるよ。

「その1」「その2」と分けたこの2つの記事は、先月の24〜28日に書いたものです。時制とか、変なとこあったらごめんね。

あまりにも長いので、追記で表示します。読みたい人は、下の「続きを読む」をクリック!

できたら今日中に残りの全部もアップしちゃいたいと思うので、たぶん後半半分は、ボリュームダウンすると思います。あしからず。

それでは、どうぞ〜。

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ながーいながーい北海道旅日記(写真満載)・その1

気付けば北海道の旅からもう1ヶ月。
卒論やら写真展の準備やらに追われて、旅日記のアップもどんどん後回しにしてしまってました。

今さら感満載だけど、やっとのアップです。でも、とりあえず半分だけ。なぜかというと、半分しか書けてないからです。自分を追い込むために、出来上がってる半分を先にアップして、残りを頑張って書き上げるよ。

「その1」「その2」と分けたこの2つの記事は、先月の24〜28日に書いたものです。時制とか、変なとこあったらごめんね。

あまりにも長いので、追記で表示します。読みたい人は、下の「続きを読む」をクリック!

できたら今日中に残りの全部もアップしちゃいたいと思うので、たぶん後半半分は、ボリュームダウンすると思います。あしからず。

それでは、どうぞ〜。

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写真展写真集。

コメント欄に少し書いていた、写真展の写真をファイリングするっていう話の詳細。

ホタルのママが、写真展の雰囲気を閉じ込めるような形で、使った写真の全てをスクラップブックなり、クリアファイルなりにファイリングしたいって言い出してくれた。それこそ、写真展で写真を展示するのに使った麻のタワーを写真ごとそのまま持って帰りたかったけど諦めざるをえなかった私たち3人は、すぐに賛成。まだ詳しくは決まっていないんだけど、とにかく写真展で使った写真を写真集にするということは決まりました。

使った写真たちを、枠&キャプションごとファイリングするのはもちろんのこと、当日入口に貼った「ごあいさつ」とか、写真展当日の様子を撮った写真とかも一緒に綴じるつもり。なので、写真展に来られなかった人に、是非見てもらいたいです。


出来上がったら、ここでもお知らせします。

『LOST』

シドニーからLAに向かう飛行機がある島に墜落し、四十数人が生き残った。医者のジャックをはじめとする彼らは、力を合わせてサバイバルを開始するが、島では次々と奇怪な出来事が起こる…。一人ひとりの過去の秘密が少しずつ明かされていき、徐々に複雑な人間関係が築かれていく…というアメリカのドラマ、『LOST』。
ハマってしまいました。



うちの姉がシーズン1からずっとスカパーで見ていて(今はシーズン2の後半)、最初は気にもかけなかったんだけど、ある時アメリカのドラマなのに韓国語のセリフが出てくることを知って(主要登場人物の中に韓国人が2人いるので)、興味を持った。んで、放送の時間帯が、ちょうど私がバイトから帰って来てごはんを食べる時間と重なってたため(テレビと食卓が近いってことね)、なんとなーく目に入ってたらストーリーが見えてきて、気付いたら次回が楽しみになってしまっていた…というわけ。早速DVDを借りてきて、シーズン1を一気に見てしまった。
でも実は、「ハマった」とかいう言葉を使いたくないくらい、深いドラマだと思う。人間の本質に迫るような。すごい心を動かされて、お酒飲みながら見てたからってのもあるかもだけど、わんわん泣いて、見ながらめちゃめちゃいろんなことを考えさせられて、自分の人生にとってこの物語がすごく大きな意味を持っているような気がしてるんだ。たかがドラマじゃないかって言われるかもしれないけど。



『LOST』ってタイトルは、一見すると、墜落し、どこの島ともわからない島で生活せざるをえなくなった、「迷った」彼らの状況のことを言っているんだろうと思われるけれど、どんどん見進めていくうちに、そうじゃないことがわかる。『LOST』は、きっと「失った」彼らなのだ。彼らの一人ひとりが、過去に失ったもの、その大きさが、丁寧に描写される。痛いくらいに。
すごーく嫌な奴とか、どうしようもなく駄目な奴とか、なんか不気味な奴とか、本当にいろんな人がいるんだけど、みんなどこかしら人間らしい部分を抱えていて、嫌いになれない。「人間って…」「人生って…」と思う。



心の襞に触れる。物事の、人生の、世界の複雑さってものを、この物語はきちんと描いているんだと思う。それが、私がこのドラマに惹かれた理由でもあり、私の人生にとって…とまで感じた理由だと思う。これからの人生で、何回も、ここに戻って来たいのかもしれないって思う。それくらい大きい。

今私は、この5年間の総まとめに取り掛かろうという時期に来ている。安全に守られ、自分の頭で考えなくてもやっていける世界を出て、試行錯誤に苦しみ、今までの人生とは比べ物にならないくらいたくさんの人と出会い、人生の楽しみ方を学び、この世界の素晴らしさと複雑さを知ったこの5年間。
そう、この世界には本当にいろんな人がいて、一人ひとりが、全く自分と同じように多くのことを考え、感じ、人生を送っている。それは、見えにくいけど事実だ。誰もが、いろんなものを抱えて、背負って、生きてる。
そして、世界はいろんなことがそれはもう複雑に絡み合い、繋がり合い、影響し合っている。私たちが気付かないところでも。その全てが科学的に解明できるとか、それどころかその全てに気付くことができるなんて考えるのは、きっとおこがましいこと。『LOST』の中では、この島で出会った2人が、実は昔どこかですれ違っていたとか、知らない者同士として会話を交わしていたとか、同じ場所に居合わせたとか、そんなエピソードがたくさん出てくる。それがこの物語のひとつの魅力であり、間違い探しのような面白さがあるんだけど、きっと、そういうことって、実は実際に起こってることなんじゃないだろうかって思うのだ。私たちが気付かないだけで。気付いた時に初めて、人はそれをシンクロニシティと呼んでびっくりしたりするんじゃないかな。
シンクロニシティなんて呼べるほどじゃないけど、私もこの5年間で、信じられないような偶然や幸福な瞬間に出会ってきた。だから、このドラマの中で起こることを、島の不思議を、科学では解明できないことを、素直に受け入れられる。もしこのドラマが、実は本当にあったことなんだよとか言われても、変わらないくらいに。きっと5年前の私だったら、こんな風には思わなかったはず。この5年間の濃さを思うと、その最後の時期に出会った、こんなに胸に突き刺さるドラマには、どんな意味があるんだろうって思う。私の人生に、どんな影響を与えるの?
もちろん、意味のないことなんてひとつもないし、人生に大きな影響を与えるものは、身近にいくらでもあるんだけどね。



登場人物の中で、一番好きなのは、サイード。湾岸戦争で通信仕官をしていたイラク人兵士で、メカに強い。行動力に溢れ、みんなをまとめる力を持っている。
本当に惚れそうなくらい、サイードはかっこいい。私はやっぱり知的な人に弱いみたい。例に漏れず暗い過去を抱えているし、人としてしてはならないことをしたこともある。それでも、強くて、頭が良くて、頼りになって、優しいその姿には、惹かれてしまう。サイードを見てて、アラブ人の友達とか恋人とかが欲しくなったくらい、本当に好き。アラビア訛りの英語も、とても素敵に聞こえる。こんなの初めてだよ。彼を見ていると、やっぱり英語って、話す技術じゃなくて、話す内容なんだなって思う。彼の英語が訛ってることなんて、きっと誰も気にしてないし、それどころか彼の有能さを、みんなが認めている。サイードを見てたら、下手でもなんでもいいから、とにかく英語が話したくなったよ。発音なんか気にしないで、話したいことを、伝えるために。
シーズン1の後半からは、彼のロマンスもストーリーの重要な要素になってくる。すごく素敵な恋だ。誰かを好きになりたくなった。見てて、本当に恋がしたくなった。
でも、シーズン2の途中から見始めた私は、この恋が迎える運命を知ってしまっているから、とても複雑な気持ちでもある。切ない。苦しい。胸が痛い。どうしたらいいのかわからない。でもこの感情が、きっと私の心の襞を、また少し繊細に、やわらかく、より深くしてくれてるんだろうなって思う。



とても悲しい。
とても楽しい。
矛盾もなく同居している。



たかがドラマかもしれない。
でも、人生を考えています。

ストライカーなちこ

優秀なストライカーになりたい。
優秀なストライカーには、絶対的に体力が必要。

チャンスが訪れたときのために、ストライカーは走らなければならない。
でもその走りのほとんどは、無駄になることが多い。
サッカーのスコアなんて、1点や2点の世界。

それでもストライカーは走る。無駄に走る。
そしてその無駄な走るこそが、決定的な1点を支えている。

一昨日の写真展だって、きっと無駄な走りはいっぱいあって。
お休み処とか、「ご自由にお読みください」とか、窓枠に貼ったリーフレットとか、それこそ空とかタワーとか。別に、はずせないポイントは写真&キャプションであって、それは実際よくできていて、きっとあれだけを壁とか衝立とかに貼って写真展にしたって、けっこうそれなりにいいものが出来たと思う。そういう写真展を想像してた人も多かったと思う。そしてその方が、準備も余裕を持ってできたことだろう。

でも、私たちは、無駄に走った。
点にはつながらなくて、後から誰かに「あの走りは無駄だったねーアハハ」ってネタにされちゃうかもしれないって思ったけど、それでも、その無駄な走りこそが決定的な1点を支えてるってことを知ってるから、走った。


自由に剥がして持ってっていいリーフレットは、誰の目にも留まらなかっただろうか?
お休み処は、誰ひとり使ってくれなかっただろうか?
感想用のノートには、誰ひとり書いてくれなかっただろうか?
「ご自由にお読みください」をつけた本たちは、誰も手に取らなかっただろうか?

答は、No。
リーフレットを剥がしてってくれた人も、お休み処で休んでくれた人も、ノートに感想書いてくれた人も、本を手に取ってくれた人も、本当にそれぞれ数人だったけど、いたんだ。だったら、その人たちのために、その数人のために、こまごまと準備をした意味はあったんじゃん。
笑う人は笑えばいい。
でも、どこかで見た何かが、回りまわって人生を変えることなんて、よくあることだよ。


優秀なストライカーになりたい。
世の中は、ほとんど気付かれないようなたくさんの気遣いで出来てるよねって、ホタルと話した。自分がそれを用意する立場に立ってみると、よくわかるね、って。
誰の目にも留まらないかもしれない、でも、用意しておかなければ、絶対に、絶対に、誰かの目に留まるチャンスはない。
ストライカーが、実は誰よりもピッチの上を駆け回ってることに、気付く人は少ないかもしれない。でも、その走りがなければ、決定的な1点も、生まれない。


無駄に走れる体力と、一瞬のチャンスにかける情熱と、チャンスを活かせる柔軟なセンス。

優秀なストライカーになりたい。



2006/11/12 写真展@小田高ホームカミングデー
『地球一周の船旅〜私たちが切り取った世界の鼓動〜』
Special Thanks to
ホタルママ、ホタルパパ、ケンタロー、ポリー、うちのはは、蛭田さんを始めとするホームカミングデー実行委員のみなさん、茜、ステイシー、ピースボート(特にポステル興業)、バーミヤン堀の内店(笑)、あづさのみなさん&のんちゃん、摩衣、みず、見に来てくれた全ての人、地球一周の船旅で出会った全ての人・もの・こと。

ありがとう。

キャハハハ。

酔っ払いです。
でも思ったんだけど、酔っ払いにしか書けない文章ってあると思う。


キャハハハハ。
今の気持ちを表現するためにこの擬音語があるんじゃないかって思うくらい、気分がいい。写真展、準備も、本番も、打ち上げも、全部全部楽しかった。

ホタルの撮ったパプアの夕焼けの写真を見て、キャプションを読んで、泣きそうになったもん。クルーズディレクターの雄貴が、あの夕焼けを見て、「きっとピーターさんが、悲しくても元気出してやっていきなさいって言ってくれたんだと思って…」って言ってたのも思い出して。
象の孤児院に行って、最後にみんなでディスカッションをして、どうしようもない象牙の密猟の悪循環と、私たちにできることは、「象牙製品を買わないこと」と「この事実を周りの人に伝えていくこと」でしかないんだって身にしみてわかった時に、雄貴が「厳しいけど、でも、元気に伝えていきましょう」って言った時、すごくうれしかったっていうか、本当にこの人のクルーズに乗れて良かったって思ったんだ、私。
そもそもボランティアとかって、真剣に、真面目に、沈痛にやるもんだと思ってた私に、ネガティブな現実に対しても前向きに取り組むことの大切さ、楽しむことの普遍的な意義や「真面目に遊ぶ」方法を実感を持って教えてくれたのが、ピースボートで出会った仲間たちだった。雄貴はそれを地で行っていた。素直に、心から、悲しいけど、絶望的だけど、諦めた方が早いけど、無理かもしれないけど、でも、「元気出して伝えていこう」って言ってくれた。だから、すごくすごく、心に残っているんだ。


写真展。
準備、ものすごい大変だったし、つらい時もあったけど、でも絶対やって良かったし、本当に本当に楽しかった。生きてることを実感できる楽しさ。幸せで幸せで、にやけた顔が元に戻らない楽しさ。あんまりにも居心地の良い空間を作りすぎて、教室から全然離れらんなかったし、それを何とも思わないくらい良いものが作り出せたと思った。正直本っっっ当にギリギリまで、「これは開場までに設置完了できるのか!?」って感じだったし、実際開場時間までに準備が終わらなくて、ディスプレイとかお客さんが来始めてからやった感じだったけど、それでも、気付いたらめちゃめちゃいい空間が出来上がってて、なんとか形になっていて、昨日の夜にあーだこーだと考えてなかなかミーティングが進まなかったディスプレイも、なんだかんでいい感じに出来上がったし、写真もキャプションも、申し分なかった。

主催者であり出展者であり撮影者である私たち3人が、誰よりもその場所を離れられない、いつまでもいつまでも、繰り返し写真を見返してしまう、教室の写真を撮りまくってしまう(笑)、そんな写真展だった。お気に入りのものを手に入れた時、ずっとずっと眺めてしまう感じ、理想的な何かを思いついた時、ずっとずっとそのことを考えてしまう感じ。その両方。
理想の空間って、自分で作れるんだ、って思った。
もしかしたら、写真展の主催者って、お客さんの出入りとか、反応とか、そういうのを気にしているべき存在なのかもしれないけど、私達は、なんだか自分たちの作品と、それを理想的に展示できた満足感とに夢中で、そんなことに気が向かなかった(もちろん、安定してお客さんが来てくれていたからこそ、そこに気を遣わないでよかったのかもしれないけど
)。


理美、理美のお姉ちゃん、ありがと。
キャンベル母、習字の先生、ありがとう。
加奈子、加奈子のお母さん、ありがと。
父、ありがと。
えみくんとうっちゃん、ありがと。
イトケン、工藤くん、ありがと。
たに、志野、やっちゃん、ありがと。
大島くん、ありがと。
ホタルママ、ホタルパパ、ありがとう。
摩衣、みず、中根ちゃん、和美ちゃん、ありがと。

おまけで、蓮池くん、岩本くん、山本くんも、ありがと。

佐藤校長先生、
そして蛭田さん、ありがとうございました。


キャンベルとホタルにも話したけどね、今日ある友達と話してて、思ったの。
物事の意味を、価値を、決めるのは結局は自分自身なんだな、って。
私がこういう生き方をしてることを「かっこいい」とか「大きい世界で生きてるね」とか「すごい!」とか「うらやましい!」とか言ってくれる人はいっぱいいて、それはそれでうれしいことはうれしいんだけど、でもね、もしも、そういうふうに言ってくれる人がいなかったとしても、もしも今日の写真展に(実際はなかなかの大盛況でしたけど)ほとんどお客さんが来なかったとしても、私たちがやったことは絶対無駄にはならないし、私は私の生き方をやめないし、こういう風に大切な友達と何かを作り上げて、めちゃめちゃ楽しくて幸せで創造的な人生を、疑ったりはしない。
船に乗る前の私だったら、きっと「たくさんのお客さんが来てくれることが、認められるってこと」とか「周りが評価してくれるという証拠(?)があるからこそ、自分に自信が持てる」ってな感じに思っていたんだけど、今日は、そうじゃないなって、思ったんだ。本当に、純粋に、自分の頭で考えたことや、自分の魂が感じたことに従って生きていくこと、誰にどう思われようとも、それを常に意識して、考え続けて、信じていくこと、それが、私の人生を豊かにしていくんだろうな、って。もちろん、私の考えや知識にはいろいろな偏見や偏りがあって、それらが及ぼす影響も小さくはない。でも、それを言い訳に、「じゃあ、どっちにしろ駄目なんじゃん」とも思わない。どんな状況でも、どんな困難(と一見思われること)でも、それを苦難と見るかチャンスと見るかは自分次第。
小さい頃から、世の中って、言ってることと実質やってることがずいぶん違うってことが、実はたくさんあるんじゃないか…っていろんな場面で思ったり、実際にそう実感したり、それに憤ったりしてきた。それは、社会問題になるようなオオゴト的な意味ではなく、もっと日本人の生活に根付いた、さりげない感じのもの。でも、今日そう思えたことで、私自身は、今まではわからなかったけど少なくともこれからは、そんなふうに「実質のない建前」を見せようとする努力(?)は必要ないんだ、って思えたこととつながって、なんだかとっても大きかったのだ。実質がないのに、まるであるかのように見せかけるやり方、砕けて言えば、「ぶっちゃけてない」やり方は、周りの評価が重要であるって考えているからこそ、周りに良いカッコしようとそうするわけで…周りの評価や数字的経済的な証拠がなくったって、自分自身の信念で生き方を選んでいけるって、どんな状況も乗り越えていけるって思えたなら、そんな
白々しいこと全く必要ない。
きっと、そのことがすごくうれしかったんだと思う。


それは根本的なところのお話。
実際「すごく良かったです!」って人に言われたら、それはそれですごくうれしいです。別に矛盾してないと思う。
いろんな人が訪れてくれて、丁寧に見たり見なかったり、コメントしたりしなかったりしてくれたけど、その中でも、特に今日、私たち3人の印象に残った1人の青年がいた。彼は、2回も見に来てくれて、一枚一枚丁寧に写真を見て、キャプションを読み、小さなパソコンで流していたスライドショーも、2回分くらいじーっと見入ってくれて…感想記入用のノートにも、一番長いコメントを残してくれた。
「今までに見た写真展の中で一番良かったです」って書いてくれた。
なんかね、こんなこと言ってもらえたらそれだけで、やってよかった〜、本当に頑張ってよかったよ〜(;д;)って思うんだよね。
こんな風に、誰かの 何かに ふれることができたなら…
私たちがただ、自信を持って、気持ちよく、こういう生き方をしている以上の意味が、そこには生まれたんだろうね。


ありがとう。
ありがとう。


ありがとう。







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