お肉を食べなくなりました。
いわゆる、ベジタリアン。
去年の7〜8月くらいからかなぁ。徐々にね。
魚はたまに食べるので、「ペスコ・ベジタリアン」っていう種類の
ベジタリアンですね、私。
ベジにもいろいろあるんですよ。
卵や乳製品は、できる範囲で食べてません。
もともとは、こころとからだの健康のために
マクロビオティックな食生活にしていってみよう!と
思い立ち、ちょっとずつ実践し始めたのがきっかけでした。
マクロビオティックについては、また別の機会に。
最近は、友達と飲みに行っても食べないことにしたので、
「あ、私、お肉は食べないから」って先に言っちゃいます。
そうすると「なんで食べないの?」って聞かれます。
たいてい
「うーんとね、いろいろ理由はあるけど、主な理由は健康のためかな」
って答えてます。
嘘はついてないけど、言いたいことは全部言えてないもやっとした感じ。
でも…、
1キロの牛肉を生産するのには約12〜20キロの穀物資料が必要で、世界中でたくさんの人がお肉を食べたいがために、それよりもっとたくさんの人が飢えていて、たくさんの子供たちが死んでるんだよ、とか、より売れるお肉を、より安く、より早く作るために、牛が牛を食べさせられたり、合成ホルモン注射を打たれたり、鶏や豚だって、抗生物質漬けになったり、薬品まみれになったりしているんだよ(そしてそれを食べるのは誰?)、とか、畜産用の土地を確保するために世界中で森林が伐採されたり、牛や豚の糞尿で水や土が汚染されているんだよ、とか、お肉を食べ続ければ食べ続けるほど深刻な病気になる可能性が高くなるんだよ、とか…
今から美味しくお肉を食べようとしてる人たちに言える勇気が出ないんだもん。
これから、少しずつ言えるようになっていけるといいかなって思ってますけどね。少しずつ食べるお肉の量を減らしてったように。
だって、私ひとりが食べなくなることで、その現実を変えられるとは思っていない。伝えるための手段として、表現として、食べないことを選んだって理由もあるから。
「ベジタリアン」と聞いて、動物愛護的な理由がすぐに頭に浮かぶ人もいると思うけど、私はそういう倫理的な理由の割合は、今のところとても少ないです。
その理由も持とうと思えば持てるけど(動物好きだし)、持つとけっこう苦しいんじゃないかなーって。自分自身今までずっと食べてきたってのもあるし、お肉を食べてる人々を責めてしまいそうってのもあるし。敢えて持たないでおいてます。
何の本で読んだか忘れたけど、動物を食べることについて、ずっと頭に残っている文章があるのです。
「動物は、自分たちが人間に食べられることを悲しくは思っていない。ただ、感謝して食べてほしいとは思っている」
本当かどうかはわからないけど、単に都合のいい言い訳とも感じない。イヌイットの人たちをはじめ、動物を食べないと生きていけない人もいるでしょう。私の好きな本『神との対話』の中にも「宇宙には、しなければいけないことも、してはいけなこともない。」といった言葉もあります(意味を取り違えないように注意は必要だけど)。
植物だって、動き回らないけど、いのちであることには違いない。
だから、大事なのは、「いのちをいのちとして大事にして、感謝していただく」ことだよね。これからもお肉を食べようと思っている人を、否定はしないけど、いろいろ考えてみてほしいなーとは思っています。ただ、そこにあってみんなが食べてるしそれなりに美味しいから特に何も感じずによく考えもせずに食べ続けるんじゃなくて、ね。
この話題は、書きたいことが多すぎて、「いつかまとめて書こう、いつか…」と思って先延ばしにしちゃってたんだけど、ずいぶん前から書こうとは思ってました。みんなの反応が楽しみで…(笑)。
といっても、船関係の友達だったら、周りにベジの友達のひとりやふたりいるって人もいるだろうから、そこまで珍しい話題でもないかもしれないかな?
今日ここにやっと書こうと思ったのは、「肉を食べないなんてわがまま!」と家族のうちの一人に言われたからです。
「お肉食べないことにした」とは言ってあったけど、“いろいろな理由”の方は、居酒屋で友達に言えないのと同じ理由で、なかなか話すことができないでいた。それでも、親は「あ、そう。食べないの。その方が健康にいいかもね。」くらいな反応だったから、何も困らなかったのね。
でも、今日その言葉を言われて、「あーやっぱいろいろ考えてこうしてるってこと、伝わってないのかもなー」と思って、少しだけ話したの。
で、じゃあ話したついでにブログにも書いておこうかな、と思ったのでした。
また、詳しく書けたらいいなと思ってます。
一気に書こうと思うからいつまで経っても書けないんであって、中途半端でもいいから書き始めちゃえば、きっとぐちゃぐちゃながらもつながっていったりするよね。しますように…!
最後に、「肉を食べないなんてわがままじゃない!?」に対する、私が言いたかった答を代弁してくれている文章を紹介します。奥津典子さんというマクロビオティックのインストラクターの方が書いた『ORGANIC BASE マクロビオティックと暮らす』という本から。長いですけど、読んでくれたら嬉しいです。
[よくいただくご意見2]…「肉を食べないなんて、贅沢じゃない?わがままじゃない」
個人的にあるものをいただく、という考え方は共感する部分があります。しかし、本当にそうでしょうか。
そもそも、牛一頭育てるのに、どれだけの飼料とエネルギーがいるのでしょうか。それを植物・穀物として全世界の人口に分布させたほうが効率はよくないのでしょうか。また、牛や豚の暮らす小屋、屎尿を洗い流すのに、どれだけの水が使われどれだけそれが環境汚染につながっているでしょうか。あるいは、生き物たちは幸せなのでしょうか。ペットは大事だけど、牛は大事じゃないですか。
また、自分たちの健康を損ねるような食生活はわがままではないでしょうか。私たちの体は、私たちだけのものでしょうか。私たちは私たちのものであると同時に、先祖のもので子孫のもの。もっと言うと他人のものである、と思っています。だって、私たちが病気になって困るのは自分たちだけですか。家族も困るし、現実的な話で、医療保険費の問題は、私たちみんながアタマを抱えている問題になっていないですか。日本語でいう「我々」とは、この世界の「ワレワレ」、「部分」だとのこと。だからまず、自分を大切にすることがみんなを大切にすることでもあると思うのですが、いかがでしょうか。
自分を大切にしない食べ方こそ、わがままだと私は思います。そうは言っても、つきあいのことで悩みもします。それを断ることもまた、つまらない生き方だと思うからです。だから、それは「ほどほど」に。自分なりのバランスを見つけましょう。そして、少しずつ、みんなで変わっていきましょう。こんなに肉を食べなくてもいい世の中にしていきましょう。
みんなが肉を食べるのをやめてしまえば、もちろん畜産業の方は困るでしょう。でも、人類が肉食をやめるのに、あと数十年、もしかしたら100年以上かかると思います。その間に徐々に、社会構造、生活スタイルというものも、変化させていく必要があるでしょう。そしてその大変さはみんなで負っていくしかないと思います。だって、今の生活を選んだのは、ほかならぬ私たち自身なのですから。
自分がベジタリアンになるとは思ってなかったけど、なってみたら、けっこう楽しいもんです。料理も好きになったし、本当の意味で美味しくて安全で、心のこもった料理を食べさせてくれるお店もたくさん発見中…!な今日この頃です。
私が影響を受けたり、参考にしたりした本。
『ORGANIC BASE マクロビオティックと暮らす』
奥津典子 ビジネス社
『久司道夫のマクロビオティック-入門編』
久司道夫 東洋経済新報社
『病気にならない生き方』
新谷弘実 サンマーク出版
『いのちの食べかた』
森達也 理論社(よりみちパン!セ)
『ぼくが肉を食べないわけ』
ピーター・コックス 築地書館
『そろそろスローフード』
島村菜津+辻信一 大月書店(ゆっくりノートブック1)
Not All or Nothing, but Better than Nothing.
Thanks for reading !! xxxx
いわゆる、ベジタリアン。
去年の7〜8月くらいからかなぁ。徐々にね。
魚はたまに食べるので、「ペスコ・ベジタリアン」っていう種類の
ベジタリアンですね、私。
ベジにもいろいろあるんですよ。
卵や乳製品は、できる範囲で食べてません。
もともとは、こころとからだの健康のために
マクロビオティックな食生活にしていってみよう!と
思い立ち、ちょっとずつ実践し始めたのがきっかけでした。
マクロビオティックについては、また別の機会に。
最近は、友達と飲みに行っても食べないことにしたので、
「あ、私、お肉は食べないから」って先に言っちゃいます。
そうすると「なんで食べないの?」って聞かれます。
たいてい
「うーんとね、いろいろ理由はあるけど、主な理由は健康のためかな」
って答えてます。
嘘はついてないけど、言いたいことは全部言えてないもやっとした感じ。
でも…、
1キロの牛肉を生産するのには約12〜20キロの穀物資料が必要で、世界中でたくさんの人がお肉を食べたいがために、それよりもっとたくさんの人が飢えていて、たくさんの子供たちが死んでるんだよ、とか、より売れるお肉を、より安く、より早く作るために、牛が牛を食べさせられたり、合成ホルモン注射を打たれたり、鶏や豚だって、抗生物質漬けになったり、薬品まみれになったりしているんだよ(そしてそれを食べるのは誰?)、とか、畜産用の土地を確保するために世界中で森林が伐採されたり、牛や豚の糞尿で水や土が汚染されているんだよ、とか、お肉を食べ続ければ食べ続けるほど深刻な病気になる可能性が高くなるんだよ、とか…
今から美味しくお肉を食べようとしてる人たちに言える勇気が出ないんだもん。
これから、少しずつ言えるようになっていけるといいかなって思ってますけどね。少しずつ食べるお肉の量を減らしてったように。
だって、私ひとりが食べなくなることで、その現実を変えられるとは思っていない。伝えるための手段として、表現として、食べないことを選んだって理由もあるから。
「ベジタリアン」と聞いて、動物愛護的な理由がすぐに頭に浮かぶ人もいると思うけど、私はそういう倫理的な理由の割合は、今のところとても少ないです。
その理由も持とうと思えば持てるけど(動物好きだし)、持つとけっこう苦しいんじゃないかなーって。自分自身今までずっと食べてきたってのもあるし、お肉を食べてる人々を責めてしまいそうってのもあるし。敢えて持たないでおいてます。
何の本で読んだか忘れたけど、動物を食べることについて、ずっと頭に残っている文章があるのです。
「動物は、自分たちが人間に食べられることを悲しくは思っていない。ただ、感謝して食べてほしいとは思っている」
本当かどうかはわからないけど、単に都合のいい言い訳とも感じない。イヌイットの人たちをはじめ、動物を食べないと生きていけない人もいるでしょう。私の好きな本『神との対話』の中にも「宇宙には、しなければいけないことも、してはいけなこともない。」といった言葉もあります(意味を取り違えないように注意は必要だけど)。
植物だって、動き回らないけど、いのちであることには違いない。
だから、大事なのは、「いのちをいのちとして大事にして、感謝していただく」ことだよね。これからもお肉を食べようと思っている人を、否定はしないけど、いろいろ考えてみてほしいなーとは思っています。ただ、そこにあってみんなが食べてるしそれなりに美味しいから特に何も感じずによく考えもせずに食べ続けるんじゃなくて、ね。
この話題は、書きたいことが多すぎて、「いつかまとめて書こう、いつか…」と思って先延ばしにしちゃってたんだけど、ずいぶん前から書こうとは思ってました。みんなの反応が楽しみで…(笑)。
といっても、船関係の友達だったら、周りにベジの友達のひとりやふたりいるって人もいるだろうから、そこまで珍しい話題でもないかもしれないかな?
今日ここにやっと書こうと思ったのは、「肉を食べないなんてわがまま!」と家族のうちの一人に言われたからです。
「お肉食べないことにした」とは言ってあったけど、“いろいろな理由”の方は、居酒屋で友達に言えないのと同じ理由で、なかなか話すことができないでいた。それでも、親は「あ、そう。食べないの。その方が健康にいいかもね。」くらいな反応だったから、何も困らなかったのね。
でも、今日その言葉を言われて、「あーやっぱいろいろ考えてこうしてるってこと、伝わってないのかもなー」と思って、少しだけ話したの。
で、じゃあ話したついでにブログにも書いておこうかな、と思ったのでした。
また、詳しく書けたらいいなと思ってます。
一気に書こうと思うからいつまで経っても書けないんであって、中途半端でもいいから書き始めちゃえば、きっとぐちゃぐちゃながらもつながっていったりするよね。しますように…!
最後に、「肉を食べないなんてわがままじゃない!?」に対する、私が言いたかった答を代弁してくれている文章を紹介します。奥津典子さんというマクロビオティックのインストラクターの方が書いた『ORGANIC BASE マクロビオティックと暮らす』という本から。長いですけど、読んでくれたら嬉しいです。
[よくいただくご意見2]…「肉を食べないなんて、贅沢じゃない?わがままじゃない」
個人的にあるものをいただく、という考え方は共感する部分があります。しかし、本当にそうでしょうか。
そもそも、牛一頭育てるのに、どれだけの飼料とエネルギーがいるのでしょうか。それを植物・穀物として全世界の人口に分布させたほうが効率はよくないのでしょうか。また、牛や豚の暮らす小屋、屎尿を洗い流すのに、どれだけの水が使われどれだけそれが環境汚染につながっているでしょうか。あるいは、生き物たちは幸せなのでしょうか。ペットは大事だけど、牛は大事じゃないですか。
また、自分たちの健康を損ねるような食生活はわがままではないでしょうか。私たちの体は、私たちだけのものでしょうか。私たちは私たちのものであると同時に、先祖のもので子孫のもの。もっと言うと他人のものである、と思っています。だって、私たちが病気になって困るのは自分たちだけですか。家族も困るし、現実的な話で、医療保険費の問題は、私たちみんながアタマを抱えている問題になっていないですか。日本語でいう「我々」とは、この世界の「ワレワレ」、「部分」だとのこと。だからまず、自分を大切にすることがみんなを大切にすることでもあると思うのですが、いかがでしょうか。
自分を大切にしない食べ方こそ、わがままだと私は思います。そうは言っても、つきあいのことで悩みもします。それを断ることもまた、つまらない生き方だと思うからです。だから、それは「ほどほど」に。自分なりのバランスを見つけましょう。そして、少しずつ、みんなで変わっていきましょう。こんなに肉を食べなくてもいい世の中にしていきましょう。
みんなが肉を食べるのをやめてしまえば、もちろん畜産業の方は困るでしょう。でも、人類が肉食をやめるのに、あと数十年、もしかしたら100年以上かかると思います。その間に徐々に、社会構造、生活スタイルというものも、変化させていく必要があるでしょう。そしてその大変さはみんなで負っていくしかないと思います。だって、今の生活を選んだのは、ほかならぬ私たち自身なのですから。
自分がベジタリアンになるとは思ってなかったけど、なってみたら、けっこう楽しいもんです。料理も好きになったし、本当の意味で美味しくて安全で、心のこもった料理を食べさせてくれるお店もたくさん発見中…!な今日この頃です。
私が影響を受けたり、参考にしたりした本。
『ORGANIC BASE マクロビオティックと暮らす』
奥津典子 ビジネス社
『久司道夫のマクロビオティック-入門編』
久司道夫 東洋経済新報社
『病気にならない生き方』
新谷弘実 サンマーク出版
『いのちの食べかた』
森達也 理論社(よりみちパン!セ)
『ぼくが肉を食べないわけ』
ピーター・コックス 築地書館
『そろそろスローフード』
島村菜津+辻信一 大月書店(ゆっくりノートブック1)
Not All or Nothing, but Better than Nothing.
Thanks for reading !! xxxx