2009年09月

ふはーーー。

4か月ほど隠していたのだけど、
いろんなメッセージがやってきて、時が満ちて、
家族に話した。

「彼氏ができた」って。

心配してたようなことは何も言われなくて、
(ま、心の中ではいろいろ思ってるかもしれないけど)
意外と普通というか…なんてことない反応だったな。
むしろ喜んでくれたような気もする。うん、きっとそう。
杞憂だったかも。

気持ちがひとつ軽くなった。



3月に会社を辞めるつもりだってことを、
最初からそのつもりで入社したんだってことを、
上司に話した。

早くても3か月前くらいに言えばいいかなと思ってたけど、
なんか言わないでいたらもうこのまま今すぐ辞めてしまいそうに思えて…って、意味わかんないかもしれないけど、心境としてはホントそういう感じだった。
疲れすぎて。

だからね、言ってしまって良かったと思うし、
これもタイミングだったんだろうなーと思った。

また、気持ちがひとつ軽くなった。



本当の自分と、大袈裟に言えば偽ってる自分と、
そのギャップがどんどんどんどん広がっていって、
うまく息ができなくなってって、
すっごいすっごい苦しいのに、
見た目は全然いつもの私で、変わりなくて、
だから「ちゃんとしなきゃ」って思って、
もっともっと苦しくなってた。

ふはーーー。

急に回復なんてしないけど、
急上昇するのもつらいしさ、
ちょっとずつ、上がったり、ちょっぴり下がったりしながら、
気づいたら全体的にはちょっとずつ上がってるといいな。

会社の人が読むブログ

このブログは、うちの会社の人が読む前提では書いてない。

mixiでつながってる同期は別としてね。

でもまぁただ、何かのきっかけで会社の人がこのブログを見つけて読んだとして、

プロフィールやら内容やら何やらから私に違いないと気づいたとして、

それはそれで構わないや、とは思って書いている。


私が一番嫌だと思うのは、このブログをたまたま読んだ会社の人が、

にやにやしながら「ブログ、読みましたよ〜」と私に直接報告してきたり、

私の知らないところで「これ、絶対Tさん(私の名字ね)のブログだよ〜。読んでみ〜」とか言って

面白半分で他の人に広めたりとか、そういうこと。

いるのよねー実際、そういうことしそうな人がさ。


ある程度真剣にこのブログを読んでくれたのなら、

私がそういう風に面白がってもらいたくてここで文章を書いてるわけじゃないことは

すぐにわかってもらえると思う。

そしたら、「大人げのある人」ならば、きっとそういうことはしないだろう。

そういう前提で、私はプロフィールも、文章の内容も、

私を知る人には私だと特定できることを書いている。

私には報せないままに「Tさんはこんなことを考えているんだなぁ」と読んでもらってもいいし、

ある日こっそりと「実は、ブログ読んでるんですよ」と感想を語ってくれるのもいい。

それこそが、大人の対応・気遣いってもんでしょう。

そんなことを、期待しています。

もしこっそり読んでくれているのなら。


なんで急にこんなこと書く気になったかと言えば、

実際に言われたのだよね、先輩に。「実は読んでるよ」って。

その先輩は、私の同期からこのブログの存在を教わったらしい。

でも私はその同期(マイミクでない)にブログのことを話したのも忘れてたのでちょっとびっくりして、

でもその先輩の口調はちゃんと「大人げのある人」の口調だったので、

意外な読者の発見に嬉しくもなったのでした。

そして、もしかしたらまだ他にもいるかもしれない意外な読者に、

メッセージを送ってみたくなったんでした。

雲があっても、晴れだよね

虹


















底の方を、ずっとずっともやもやしたものが流れていても、

心から幸せだと感じられる時はあって、その時間は嘘じゃない。


本当の心地よさを知っているからこそ、

自分を大切にしてない時の魂の叫びが苦しいのかな。



彼岸花





















それが無意識とか考え方の癖であっても、

いい人でいようすると、

周りの人すべてから好かれようと思うと、

常に完璧にうまくこなそうと頑張ると、

どうしたって無理が出てくるよ。疲れちゃうよ。

理想の自分と現実の自分が、どんどん離れてく。

だから、もう、やめるー。

ずっとずっと、無意識にやってきてたから、なかなかすぐには難しいけどね。

でも、新しい自分に会いに行くんだ。日常に。

楽しいかもしれない。



昨日よりもっと自分を好きになる (青春文庫)






昨日よりもっと自分を好きになる (青春文庫)
著者:森川 那智子
販売元:青春出版社


晴れ渡った空に、ところどころ雲が浮かんでる時に、

雲が多少あっても晴れてることには変わりないのに、

「あぁ、雲が…あの雲さえなければ…」って思うのは、もったいないやね。


「ちゃんとやらないと気持ち悪い」っていう完璧主義は、

会社やら社会やらでは重宝されるのかもしれないけど、

人生は白か黒かはっきりさせられるものばかりじゃないから、

むしろはっきりなんかさせられないものばかりだし、

だからこそ面白ろいんだろうから、

もやもやしてるのは雲が浮かんでるのと同じ、って考えて。


「“きちんとしたい、ちゃんとしたい、すっきりしたい”という欲求はすごくあるかもしれないけれど、『モヤモヤ』にとどまってみるのです。」

一週間が終わった。

切ない、嬉しい、楽しい。
モヤモヤは消えないけど、笑ったりしながら生きてる。

久しぶりにお酒をいっぱい飲んだ。
体が冷えるから…陰性だから…と思って控えめにしてたんだけど。
今月いっぱいで辞める同期と、同じくらいの期間一緒のプロジェクトで仕事をしてきたひとつ年上のかわいい先輩(出身高校も同じ!)と、3人で飲みに行って。
確か前もこの3人で飲んだことあったなー。
既に懐かしい。

いっぱいしゃべって、いっぱい笑った。
ぶっちゃけっぽい話もいろいろ。
同期の彼は冴えないとこもいっぱいあるんだが(笑)、ちゃんと向き合って人間的に付き合ったら、さりげなく面白くて、しみじみこいつと同期でよかったなって思えるところもいっぱいあって、やっぱり彼が自分自身で決めた新しい道を進んでいくことはフツーにめでたいと思った。

帰り道、酔った勢いで、大好きなひとに電話をしてみた。けど、
電波ないか電源入ってないって言われた…むむむー。残念。
私はあんまり電話は好きじゃなくて、普段は全然しないんだけどね。
ちょっと声が聞きたくなって…。ほんとに酔った勢いだ。
でもま、コール音がしてたところで、もう寝てる可能性のが高そうだったんだけど。

意識はちゃんとあるけど、ふらふらしながら、眠いなーって思いながら、
十四夜の月を見上げて歩いた。
たまには酔うのも、やっぱり悪くない。


とりあえず今日も、何か書いておこうと思いました。

今日もなんか書こう。


しんどいのは本当なのに、しんどそうにしてる姿を人に見られると「本当にそんなにしんどいの?怠けたいがためのポーズなんじゃないの?」って思われてるんじゃないかって思ってしまって、無理して平気なふりをしてしまう自分に気付いた。こう文章にしてみると、けっこう被害妄想っぽい感じだけど、実際は相手の視線とか口ぶりとかも含めてそう思われそう…って感じてて。でももしかしたらホントに被害妄想かもだけど。

本当に限界がきて急に休んだりする方が迷惑かかるんだろうけど、でも「有休取りたいです」の一言が言えない…。「こんな忙しい時に!?」って思われるのが怖いってのもあるし、正直に「もう本当に疲れて…」って話せたとしても、「そんなのみんな同じだよ」って思われるんじゃないかとか、「めんどくさい子だな…」って思われるんじゃないかとか、そんなんばっか先に考えてしまって、頭ん中でぐるぐるしてる…。別に思われたっていいじゃんね!って、思えない、今は。

私って、こんなんだったっけ?

「こんな忙しい時に!?」っていうのもさ、もう何ヶ月も何ヶ月も、「ここさえ抜ければ…!」って感じで、もうちょっと頑張れば、もうちょっとだから…ってやって、でもひとつ終わるとまだ終わってないところの手伝いに回されて、結局みんなでそんな感じにやってるもんだからいつまで経ってもその「もうちょっと」「ここさえ抜ければ」が終わらないでズルズル続いてる感じなんだよね…。もう疲れたよ…。辞めるまでずっとこんなんだったらどうしよう…。

より早く、より多く、が「常識」の世界だからさ、予定してたよりも早い時間でスケジュールが消化できたら、その余った分はもちろん遊べるわけでも休めるわけでもなく、じゃあ前倒しでどんどんやろうか、その方が「得だから」、って誰も何も疑問に思わずにそうですねそうしましょうってなって、作業は進んでいって、そしたらなんか気付いたらいつもスケジュールきつきつだよねー、なんて、あたりまえじゃんね。
『モモ』の世界そのものだ。効率化して、後で余裕ができるように、その方が「得だから」って言ってどんどん遊んだり休んだりすることを後回しにして、気付いたらそれがあたりまえになって、そうするともう周りの雰囲気的に「頑張って早めにできたんで、ここからはゆったりしましょう」とかが言えなくなってって…。
「得」した代わりに、なんかもっと大きくてほっとする楽しいあったかいもんを、失ってるんだよね、その瞬間に。


ゆったり本が読みたい。

料理がしたい。

もっと笑いたい。

好きな人と過ごしたい。

時計を気にせずに。


時間はつくるものだなんて言うけど、

つくってできた時間じゃない時間に、

そういうことがしたい。

変化

「何をやってもうまくいかない」って時は、「今は“何をやってもうまくいかない”時なんだろうな」って客観的に思ってみることも含めて、何をやってもうまくいかないんだろうな。
帰り道でふと思った。
何をやってもうまくいかない最中だったら、思えないんだろうな、こういうことも。

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1年と3ヶ月間、同じプロジェクトで仕事をしてきた同期が今月いっぱいで会社を辞めることになった。「辞めることになった」は正しくないな。辞めることを決めたのは、彼自身だから。辞めることにした、って、今日ちゃんと聞いた。こないだ言葉を濁してちらっとは聞いていたのだけど、今日正式にプロジェクト内で発表になった。辞めるんだろうなーとは思っていたけど、それがいつ頃になるのかは知らなかったので、「おぉ、来たか」って感じでした。
前から仕事面白くなさそうだったし、上司との関係も良くなかったし、愚痴を聞いてあげたり聞いてもらったりしたこともあったから、辞めることに関しては、私としては、「うんうん、よく決断したね、気持ちよく新しい一歩を踏み出してくれぃ」ってな気分。自分もそのうち辞めていく人間だからなのか、寂しいなーとかって気持ちはあんまりなくて。彼がいなくなることで、職場に小さくはない変化が訪れる、そのことが楽しみでさえある自分に気付いた。
私って、やっぱり「変化」が好きなのかもなぁと思った。

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ほぼ毎日、仕事が終わった時に個人的な業務日誌をつけてて、業務日誌って言っても日記みたいな感じで「今日も疲れたー」とかそんなんが多いけど、その日やった作業とか、思ったこととか、体調とか、愚痴とか、そんなんが書いてある。
たまに、「1年前の今日は何をして、何を考えたんだろ〜?」って読み返すのが面白いんだけど、今朝、1年前の9月2日の箇所を読み返してみたら、「今日も、定時後はいろいろと活動しよ〜っと!」みたいなことが書いてあって、地味にびっくりした。
定時後にいろいろ活動!?確かにそんな風に思えてた時があったのは覚えてるけど、今現在の自分の感覚からは、とてもじゃないけど考えられなくて。またそんな風に思える時がこの仕事を辞める前にやってくるのか、それともこの1年で溜まった疲れがそうさせていることで、それはつまり辞めるまでにさらに溜まっていって尚更そんな風には思えなくなっていくのか…うーむ。

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『ツレがうつになりまして。』っていうベストセラーになったコミックエッセイ(タイトルのとおり、旦那さんがうつ病になった漫画家の話)を読んで、「これ、私もけっこう近いものがあるかも…」って思ってしまった。
朝、会社に行きたくなさ過ぎてなかなか起きれない…とか、お弁当作りたいのに作れない…(で、お昼になって食べたいものがなくて、食べたくないものを食べてまたちょっと落ち込む)とか、背中が痛くなる…(上司に監視されてるような気になってビクビクしながら仕事してる日は特に)とか、真面目で考えすぎな性格が自分を追い詰めてる時があるってわかってはいるんだけど変えられない…とか、テレビからの音がしんどい…とか。。。

それ以外にも、必要最低限しか人と話したくないって思うし(これはテクノストレスっていう、毎日パソコンと向かい合って仕事してる人によくある症状でもあるらしい)、家族に何か言われても、全部うざったく感じるし(で、そんな自分がすごい嫌なやつに思えて自己嫌悪気味になったりとか)、会社にいて、誰ともコミュニケーションしなくていい時は、自分の顔から表情がなくなっていくのがなんとなくわかるし、全然集中できないくらいにしんどい時とかは、もうデスクで普通に椅子に座ってる(普通に仕事しているように振舞って、でも本当はできてない)こともつらくて、トイレとか給湯室に行って、
しゃがみこんで膝を抱え込む姿勢になって呼吸してやっとちょっと落ち着く、とか、あんなに好きだった自転車にもう何ヶ月も乗ってない、とか。。。

逆に、「自分は役立たずだ」とか「私なんか死んだ方がいい」とかは思わないし、睡眠不足ってこともないから、その点は心配ないと思うんだけど。
「うつ病」とか「気分変調性障害」っていう病名がつかないとしても、これだけのサインが自分のからだやこころから送られてきてることを、無視して生活するようなことはしちゃ駄目だよなー…と思いつつ、気持ちに余裕がなくて何もできない、というこの悪循環。。。

食欲もあって、ごはんも食べる、それに関しても問題ない。けど、ストレスで過食気味になりそうな自分がいるのにも気付く。疲れてる時は特に、いつもよりもバクバク食べちゃったり、甘いものばっかり食べたくなったり、「何でもいいからとにかく食べていたい」「食べてる間だけは、癒される」って感じたり。過食嘔吐に関する本を何冊か読んでいるので、その傾向に関しては、ある程度客観的になれて自分をコントロールできてると思うけどさ、一歩間違えれば自分もそうなる要素が、今の状況ではあるって思うから、時々ちょっと悲しくなるんだよね。
でもま、マクロビオティックの知識も(中途半端ながら)一応あるから、「いっぱい食べたいって思っちゃったなら、それはからだが欲しがってるってこと。よーく噛みつつ、食べたいだけ食べればいいじゃん!」とか「気分の上下が激しすぎる…ちょっとしばらく砂糖をできるだけ減らしてみよう…」とか思えてる自分がいて、それはちょっと安心するかな。

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昼休み、可能な限り外に出てお昼ごはんを食べるようにしてる。私が勤めてるビルは山の上にそのビルだけがどかんと建っているので、周りに飲食店とかは皆無で、中で働いてる人たちはみんな、お弁当か、社食か、売店で何か買うか。私は、できるだけお弁当、できない日は
社食か、売店で何か買うか。
山の上だけあって、庭(?)はけっこう立派なもんで、鯉がいる池があったりとか、ちょっとした丘があったり、木陰もたくさん。ベンチも、たくさんはないけど、一応ある。私の最近のお気に入りは、丘の上の木陰にレジャーシート代わりのカンガ(ケニアの布)を敷いて、ごろん。毎日、ひとりピクニック。オフィスを抜け出して、風に吹かれながら空を見上げると、それだけでなんか泣きそうになる。
外に出るといろんな生き物がいる。アリは私の脚を登ってくるし、鳥もトンボも飛んでるし、蝉もまだまだ鳴いてる。それを感じながら、いつも思うのは、「あのビルの中には、人間以外の生き物がいないんだなぁ」ってこと。「直線がいっぱいで、冴えない色の壁や机だらけだなぁ」ってこと。いつも「昼休みが終わっても、戻らないでこのままここにいたいなぁ」って思う。

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久しぶりに、ブログにこれだけ書いた。
やっぱちょっと、何か変わってきたかな…?
ま、変われてなくてもいいけどさ。って思っとかないと、またやる気が何にもなくなっていろいろできなくなった時に、理想の自分とのギャップで、落ち込みそうだからね。
今、ここにいる自分を、ありのまま受け入れて「これが自分だ」って思うのは、実はなかなか難しいってことだよね。なんとなく、「がんばればできるんだから、そのがんばってできた方の自分が、本当の自分で、今のこのがんばってない自分は、本当の自分じゃない!怠けてるだけなんだ!」とか、言葉にはせずとも、けっこう思ってるんだと思う。というか、少なくとも私は思ってる。言葉にしてみると、確かに自覚できる。そして、それが無意識に考え方の癖になっちゃってるんだと思う。
ま、とりあえずはそれに気付けただけでももうけもんってことで。
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