Nachico's logbook

쓰고 싶을 때에, 쓰고 싶은 말으로, 쓰고 싶은 것을, 쓰고 싶은 만큼.

2009年11月

ファイト! / YUKI (中島みゆきのカバー)
http://www.youtube.com/watch?v=qtSb1h8wB-E





24歳を過ぎたあたりから、たまにふと気にしてること。
「YUKIちゃんが今の私の歳だった時に、書いた歌はなんだったんだろう?」

ジュディマリのファンになったのはYUKIちゃんとTAKUYAが24歳の時で、
むっちゃワクワクしながら録音して何回も聞き返したFM YOKOHAMAの番組は、
今もそのテープをとってある。
『そばかす』が発売されてすぐの頃。私は小学6年生だった。


今年の5月16日の日記。
「さっき、YUKIちゃんが今の私の歳だった年を確認しようと思ってJAMPACKを開いたら、その年は1997年で、私が初めてJAMのLIVEに行った年だった。そう、あの代々木第一体育館。なつかし〜〜〜。中学生だったなー、あの時。あ、しかもね、5月だったみたい、ちょうど。12年前かぁ。」
※JAMPACK=ジュディマリが解散時に出したMOOK。
メンバーのインタビューとか年表とかが載ってる。

「JAMPの会報のキャンディスピーカーの最後の文章もひさしぶりに読んだけど・・・読んでて不思議な気持ちになった。・・・っていうのは、『うわー・・・私の文章ってやっぱりYUKIちゃんの影響受けてるよこれは。すごいわかる。そりゃそうなんだろうけど、改めてこう認識したことなかったかも』って思ったからなのでした。」
※JAMP=ジュディマリのファンクラブ。
1999年から2001年の
解散まで会員でした☆

何を隠そう、私が高2の時に日記をつけ始めたのは、
YUKIちゃんの本『GIRLY FOLK』を読んだからで、
(この本は、ライターさんが書いたドキュメンタリーなんだけど、
 YUKIちゃんの個人的な日記からの抜粋がいっぱい出てくる)
その日記…といっても毎日書いてるわけじゃないけど、
書きたいことがあった時に書くその文章を、
私は10年近くたった今も書き続けていて、
たぶんこの日記の存在がなかったら、
自分にとって「書くこと」の大切さに目覚めなかったかもしれなくて、
そしたら、このブログもなかったかも・・・!?
物書きになりたいっていう夢も持たなかったかも・・・!?
人生って不思議だ。
素敵だ。


ちなみに、YUKIちゃんが26歳の12月26日、
私とジュディマリは同じ場所にいた。
その場所とは、ずばり、東京ドーム・・・!!
知る人ぞ知る、YUKIちゃんがLIVEの途中でパニくって泣いてしまった、
ジュディマリ初の東京ドームライブ。
『44982 VS 1650』っていうライブアルバムにもなって、
その後めっちゃ聴いたな〜。
※ちなみに『44982 VS 1650』の44982は、東京ドームライブの客数で、
1650は、その2日後に恵比寿でやったスタンディングライブの客数。
CDは3枚組で、1,2枚目がドームの音源、3枚目が恵比寿の音源なのです。
読み方は、よんよんきゅーはちにばーさすいちろくごーぜろ。

ラストの『LOVER SOUL』は、忘れられないなぁ〜。
って言っても、そのライブアルバムで何回も聴き返してるからだろうけど(笑)。



あの頃は、歌の中に出てくるような恋愛も、生活も、
ただただ憧れるばかりのものだった。

今、あの時のYUKIちゃんと同じ歳になって、
私は私なりの恋愛や生活を楽しんでる。

あの頃はまだわからなかった気持ちを、
改めて歌詞の中に見つけて味わい直したりしてる。

そしてこれからも、
YUKIちゃんが今の私の歳だった時に歌ってたのは・・・」って、
追いかけていくんだろうなぁ。

LOVER SOUL / JUDY AND MARY
http://www.youtube.com/watch?v=jMKNBy_Op6E




Thanks, JAM!!

きっと、心も体も全部知っていて、
私にとってあるべき流れの中に私を導いてくれている。
ゆったりした気持ちで、深く呼吸して、
「私は、私」と思えたら、
すべては自然な状態にあるのだと気付けるんじゃないかな。

だけど、
「こうだったらよかったのに」とか
「こうであるべきはずなのに」とか
「こうじゃないと嫌だ!」とか
頭ん中で勝手に決めたイメージがあると、
それと一致してないってだけでもう「うまくいかない…」ってことになってしまう。
それって、もったいないことな気がするな。

最近、どんな食事でも心から感謝して食べるコツを思いついた。

「これが、この人生で最後の食事になるかもしれない」と思って、食べるのだ。

これはかなりうまくいく。

実際にそうなるかもしれない可能性も、十分にある。

次の食事まで生きていられるかどうかなんて、誰にもわからないんだから。



自分にとってどういう食事が体と心に美味しいのか、気持ちいいいのかがだんだんわかってきたと同時に、相対的に「本当は食べたくないんだけど選択肢が少ないからとりあえず食べないといけない」ものだとか、「健康にも精神面にもあまり良くないんだけどストレスが溜まっててつい食べちゃう」ものだとかも増えてきた。

それで、食事の時に「本当はもっと違うものが食べたいんだけどなー…」とか思いながら食べることが前よりも増えてた。

一番わかりやすい例で言うと、理想的には玄米炊いてマクロビ料理のおかずでお弁当を作りたいんだけど、疲れすぎて作れないから、しょうがなく社員食堂の安い(つまりはスローでない)メニューを食べたり…砂糖やカフェインの摂り過ぎに気をつけようと思いつつも、仕事に集中できなくて落ち着かなくて、ついついお菓子やコーヒーを口に運んでしまう…とか。

でもね、「これって何か違うよなー…」とも思ってた。
食べたいと思ったときに食べるものがあって、食べられる。
しかも、自分が調理したわけでもなく、誰かが用意してくれたものだ。
それだけでも、「本当はこんなの食べたくないんだけど」って思うのは失礼じゃないか?って。

お菓子やコーヒーだって、口にしてる時だけかもしれないけど、癒されたり、心や体がほぐれていくのを感じる。そういう意味では、その時の自分に必要だから、体が求めてる=食べたいって感じるんじゃないか?って。

でも、「でも…添加物が…化学調味料が…残留農薬が…」って、頭で考えるのはなかなか止められなかった。まぁ、それもある角度から見たら、事実だから。

そんな中で、最近になって自分自身を大切にすることとか、“今、この瞬間”を感じて味わう生き方について考えたり、実践したりするようになって、「人間、いつ死ぬかは本当にわからない」ってことも、意識することが多くなった。
そしてこの間また社員食堂でお昼ごはんを食べていた時に、ハッと気づいたのだった。今、文句たらたら食べているこの食事が、もしかしたらこの世で食べる最後の食事になるかもしれないってことに。

例えば、ものすごく険しい山道を飲まず食わずで上り続けて、やっとの思いで頂上に辿り着いた時に食べる食事は、それが何であれ、ものすごく美味しいだろう。残留農薬たっぷりのお米でつくったおにぎりだったとしても、むちゃくちゃうまいと思う。身体に大きな害がなければ、そんな時にはそんなことはあまり重要じゃないのだ。

例えば、どこかに監禁されて生きていくのに必要最低限の食糧しか与えられなかった人が、その状況から解放され、食べたいと思ったものを食べることができた時、それもまた、
ものすごく美味しいだろうと思う。きっと、涙が出るくらいに。それがもし添加物てんこもりで化学調味料たっぷりの加工食品だったとしても、やっぱりそれもそんな時にはあまり重要じゃないのだ。

まぁこれは極端な話だけどね、そんなことを考えたら、目の前の食事に対して、自然と感謝の念が湧いてきた。



そして何より、「おいしい…!!」と思って、感謝して食べるか食べないかで、体や心の反応も違ってくるんだと思う。

だって、食べ物はエネルギーそのものだし、人間もまた、エネルギーそのものだから。

寒いけど、

四季がなかったら日本は日本じゃなくなっちゃうと思う。

だから、この寒さも必要。

寒いけどね。

船友達のみどりがmixiの日記を読み返していたのを倣って、私もブログの記事を読み返してみた。

みどりと同じく、1年前、2年前、3年前…の各年の11月だけ辿ってみるつもりだったのが、読み始めたらどんどん読みたくなっちゃって、結局他の月もいろいろ読んだ。


私が文章を書く時にひとつの基準にしてるのは、「自分が読者として読みたいと思う文章」を書くこと。こんな文章書かなきゃよかったとか、これはあんま読み返したくないなぁ…とか、自分が読んでみてそんな風に思うような文章は、他の人にとっても面白くないと思うし、書いたことを忘れるくらいに時間が経って読み返した時に、「我ながら、いい文章!」って思えたら、嬉しいじゃん?だから、そういう気持ちで書いてる。

実際に読み返してみて、ほとんど全ての文章が、ちゃんとその基準を満たしてた。「どんどん読みたくなっちゃ」うくらいにね^^
忘れてた気持ちを思い出させてくれたものや、書いておいて本当によかった…って思えた文章もたくさんあって、いい時間になった。


そして、改めて思ったのが、
文章が長い…!!!

なちこりを前から読んでくれてる人からはよく言われることだったけど、よくぞこんなに長い文章を書こうと思うだけのエネルギーがあったなー私ー…って、自分で思っちゃったよ。

最近は、「こんな長いの誰が読むんだ!?」みたいな長い文章って、全然ないでしょ?3年前とか4年前と比べたら。気持ち的にも、とてもじゃないけどあの頃書いてたような内容と長さの文章を、今の心身の状態で書けるとは思えないし、思えない以前にそんな風に書けていたことがあった自分がいたことすら、今日読み返すまではほとんど忘れてた。日常に追われて。

でも、書きたいと思う気持ちの量はあの頃と変わってないと思う。
具体的に、「このことについて、こんな風に、今日こそ書こう」と日中頭の中で下書きをして、結局書かず終いだったことがどれだけあったか…!!!(現在進行中)

でも、だから、今日はよかったと思う。
きっと今はそういう時期なだけで、また書けるようになるって思えたから。
だって、書けてたんだもん。
そして、やっぱり自分にとって大切なことは何かを考えた時に(今日の場合は、「書きたいと思ったことを、書くこと」)、今の自分の環境や状況ってのは、それにふさわしくない部分があって、それを取り除いて変化を起こす必要があるってことを確信できたからね。

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