2011年11月

どうしてそんなに無関心でいてられるのさベイビー

これね、聴いてね、

そんで、ツイッターとかfacebookで広めてね。

夜・露・死・苦!



最後の結論がいいねー。




こないだ私がデモで持って歩いたプラカード☆
かわいいっしょ^^

abbey_no_nukes



元リンク(歌詞あり)
http://blog.livedoor.jp/amenohimoharenohimo/archives/65777511.html

ユーモアをなめんな

そぎちゃんと話してたら自分の中から出てきた考え。
備忘も兼ねて。


放射能の影響による健康被害の懸念とか、今後、日本の原子力政策がどういう方向に向かうかについて、一般市民の中で大きく分けて2つの考え方があると思う。

「予防原則の考え方に立ち、危機感を保ちながら、沈痛な心持ちで、できるだけの努力や行動をして毎日を過ごす」か
「気にした所で何も変えられないし、気にしすぎるとストレスで体調悪くなるから、今までどおりに毎日を過ごす」か。

3.11以降の私は、多くの時間を前者の姿勢で過ごし、それに疲れきってしまった時、ほんの少し後者の姿勢を取り入れるような日々を過ごしてきた。

放射能や原発のことについて誰かと話す時は、ほぼ必ずと言っていいほど、この2つの考え方の温度差について話題になるし、おそらく多くの日本人が、この2つのうちのどちらかに軸を置いてると思う。そして、そういう風に意見が分かれることに対して、ある意味しょうがないと思っているような気がする。

だけど、この2つって、一般的な意見を代表するものっていうよりは、単に「両極端」な考え方でしかないんじゃないだろうか。
物事を、善と悪でしか考えられない思考が幼稚で深みがないように(純粋ではあるけどね)、この二者択一的な意見の「対立」は、必然なんかじゃなくって、今までそういう思考の「やり方」しかしてこなかった(教えてもらえなかった)から、そういう風にしか考えられなくなってるんじゃないか。
まだ自分が体験してないだけで、もっと違う思考の「やり方」をしてみることは可能なんじゃないか。
日本人の思考ってけっこうみんな幼稚(悪い意味で純粋)なんじゃないか。

そんなことが思い浮かんだのは、3.11以降ネットを通してお世話になりっぱなしのフリーのジャーナリストの人たちの姿勢が、ふとこの話題とつながったから。
一番わかりやすい例だと、上杉隆氏。
上杉さんは、途方もない世間の闇を見てきてるはずなのに、見た感じいつも飄々としてて、くだらないギャグとかも飛ばしまくりだし、全然沈痛な感じがしない。それでいて、危機感は保っているし、行動や努力のレベルも半端ない。どうしたって重くなりがちなニュースを、「今までどおりに毎日を過ごしたい」人にも届ける技術を持ってると思う。

それって、両極端のどっちでもない、第三の道って感じがするんだよね。
私が、そして多くの日本人が、今まで誰からも教えてもらったことのない、だからやったことのない(だけど、知ったならやってみることができる)、考え方。

多くの日本人って、クレームつけられることを恐れて過剰に自主規制したり、「不謹慎だ」と言われたり非国民扱いされることを恐れてブラックジョークのひとつも言えない人が多いでしょ。多すぎてもはや、ポリシーのもとに自主規制しないことやウィットとしてのブラックジョークを言うことが、とんだ非常識だと思われてたりする。
空気読めって言われる。直接的に言われなくても、白い目で見られる。ハブられる。

だけど、人の評価を気にせずにそれができる日本人が増えたら、この国は確実に変わると思う。
それができる自分になれたら、私の人生は確実に変ると思う。


日本では、シリアスとユーモアは序列の関係にあるらしい。
つまり、どんなに優れているユーモアでも、「真面目」であらねばならない場面では、「卑しいもの」として扱われる。タブー。あってはならないもの。他のすべてが完璧にいっていても、それひとつで全部台無しになってしまうもの。

だけど、シリアスとユーモアは、並列させることが可能だよね?
ユーモアの上にシリアスがあるわけじゃなくて、その2つは共存できる、対等なものじゃない?
受け取る側のレベルがそれ相応なら、その「笑い」は功を奏した上で且つ物事の本質を浮き彫りにすると思う。
そこに「笑い」が起きることで、事の重大さが誤魔化されるわけではなくて(そういう意図の場合もあるだろうけど)、重苦しさが和らいだ上で、重大さは静かにその存在感を増す、そういうことはよくあるでしょ。

また、上杉さんの話によれば、戦場の最前線のような死に近い場所ほど、人々はユーモアをよく言い合うんだそうだ。フランクルが、『夜と霧』で強制収容所内のユーモアについて書いていたことも思い出す。

日本では、そういうことを教わる機会もないし、日常の中で体験する機会も少ないから、みんな慣れてないだけなんだ。ウィット効かせすぎて周りの人にポカーンとされてる(あるいは、えええそんなこと言っちゃっていいんですか・・・ってヒヤヒヤされてる)上杉さんを見てると、そんな風に思うよ。

つまり、日本人はユーモアの力をなめてるんじゃないか?


真剣な危機感を維持しながら、行動を起こし、明るく楽しく生きていくことは可能なんだ。
そうしようと決めるなら。


You should be the change that you want to see in the world. (Mahatma Gandhi)

新嘗祭前夜

ひさしぶりに、ちょっぱーとそぎちゃんと3人で会って、
そぎちゃんちでまったり。

豆腐カレー&タジン鍋の蒸し野菜。
プチトマト、アボカド、れんこんボール、にんじんマリネ。
最高においしい寺田本家のお酒!
梅酒にハーブティーにクッキー。
私が作って行った竹炭パンと、
みどり米の玄米雑穀ごはんのおにぎり。
豆乳チャイ!

おいしくって、たのしくって、3人で何回も
「しあわせ〜〜〜!」って言い合った。

話したかったこと、いっぱい話した。
知らなかったことも、いろいろ知った。

sogi_cafe
SOGI Cafe ☆

745クッキー
745クッキー ☆


朝、そぎちゃんと別れて多磨駅に向かってる時、
あぁ、以前の自分はここで「脳内反省会」を始めてたんだな、って思った。

いい夜だったか?
“ちゃんと”楽しめたか?
変なこと言っちゃわなかったか?
あの話はしない方がよかったんじゃないか?
有意義な時間が過ごせたか?
話したかったのに言い出せなかったことがあるんじゃないか?
などなど。

大切な人(自分が大切だと思いたい人)との貴重な時間であればあるほど、
失敗しないように、とか、
後から思い出したときにいい思い出として思い出せるかどうかってことに
気を遣いながら過ごしてたんだね。
そりゃ疲れるわー。

船の中のすべての時間がそうだったとは言わないけど、
でもやっぱりあの3か月間もまた、そんな過ごし方だったと
今の私は思う。


何を話そうかとか、何は話すまいとか、
沈黙になっちゃったよどうしようとか、
意義のある会話ができてるかなとか、
そういうことを全く考えなくて、
ただ思いついたことを思いついたままに
遠慮なく話して、言いたいこと言って、
リラックスしてたくさん笑う。
ただ、「今、この瞬間」を楽しんで、味わう。
それができるようなってきた自分を、嬉しく思う。
「よしよし」って、頭なでてあげたくなる。

そういう時間を過ごせる関係を築けている友達がいることを
心から有難く思う。

原発が本当に安全なものなら、
殊更に「安全です」なんていう必要がないように、
本当に大好きで大切な人って、
わざわざ自分の中で言葉にして「大切だ」って強調しなくても、
気付いたら当たり前に大好きで大切な存在になってるものなんだね。

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