Nachico's logbook

쓰고 싶을 때에, 쓰고 싶은 말으로, 쓰고 싶은 것을, 쓰고 싶은 만큼.

2012年11月

小倉なう。

駅前に祇園太鼓の銅像があった!


今日はまだパソコンに触ってない。

作業しようにもできない日だから、移動しながらだけど心身を休めようって思ってたけど、そういや移動ってけっこう疲れるんだった…。

明日からの怒涛の日々を思うと、そわそわして気も休まらないし…。

でも、ひとりぼっちでやらなきゃいけないわけじゃないから、なんとかなるよね。

できない時はできないって言おう。

書くことを単純に楽しもう。

新聞の見せ方をいろいろ研究して、78に活かせるようにしよう。

拙い韓国語でいろいろしゃべろう。


感謝しながら過ごせますように。

梶原千遠さんという人の『「ひきこもり」たい気持ち』という本の前書き(「はじめに」)が、何回読んでも、いい。

何回も読んでしまう。

ここに全部引用したいくらい。

それに続くプロローグの「ミルクティーは誰が入れるの?」と「心に抱えているもの」も、とてもいい。

図書館で見つけて借りてきた本だけど、自分で買って、船に持っていこうかな。

何をしてても、「こんなことしてる場合じゃないんじゃないか」って感じる。

「これでいいんだ」って思えないのがつらい。


人とふれあいたいのに、人と話すのが怖い。
正直めんどくさい。

やる気を出したいのに、どうやっても出せそうにないのがしんどい。
ずっとこのままじゃないだろうとは思うけど、いつになれば抜けられるのかが全然見えない。

居場所を見つけても、あってあたりまえのめんどくささが積み重なっていくのを感じるたびに、逃げ出したくなる。

何もしないでただボーっとしたくなる。

でも何もしてなかったら何もしてないなりの不安に取り付かれてしまう。


病気じゃないけど、自分でどうにかしようと思っただけじゃどうにもできないっていう点では、病気と似てると思う。

なんでそうなってしまったのかはわかってるのに、治すには手間と時間がかかるところも。

状況をコントロールできないと胸がザワザワする。

境界線を引きたいのにうまく引けない。

0か100かじゃなくて、その間のどこかでいいのに、そうは思えなくて気付くと完璧を目指してしまう。

自分を大切にしたいけど、自分勝手な奴って思われるんじゃないかって思うと恐ろしくて、自分じゃない何者かになろうとしてしまう。

ちょっと無理すればまだいけるんじゃないか、って考えるいつもの癖を
変えていかなきゃね。

誰も、
何甘えたこと言ってんだ、なんて思ってないよ。

自分のしんどさは、自分にしかわからないんだから。

身体の声に耳をすます。

心の声をないがしろにしない。


頑張ることもできたし、話したいって思う人と話すこともできた。
それはそれで、きっと得るものがあった。

けど、しばらくボーっとして、今何がしたいのか、どうするのが一番楽な気分になれそうなのかって考えたら、
やっぱり1人になりたいって思った。

頭の中にあることを
紙の上に出したいと思った。


駅までの道で
泣きたくなった。

だいぶ大きな決断だったのに、決めるまでも決めてからも、まだ泣いてないことに気付いた。


ボーっとしよう。

自分のために時間をつくろう。

どんな風に過ごすことが自分をまた元気にできるのかは、自分の中に答えがあるはず。

ウルスラの家に行きたかった。

誰かとゆっくり「話」がしたかった。


よく来たねって言ってくれて、

夜が更けるまで2人でしゃべる。

ただ話したいことを話したいままに口に出す。

気を遣わなくてよくって、でも、全然遣わないわけでもなくて、思い遣りの気遣いはちゃんとある。100%じゃなくて、0%でもなくて、その間の、バランスが心地いいと思えるどこか。

さえなかった気分が、晴れてくのを感じる。

また少し、人を信じてみようっていう気持ちが湧いてくる。

ひとしきりしゃべったら、ベッドとっちゃってごめんね、とか言いながら眠りに就く。

意識が薄れていくその間に、なんて不思議で幸せな気分なんだろうって思い巡らす。

知り合ってからの時間はまだそんなに経ってないに…人の心はこんな風にして近づけるんだ…って思いながら、眠りに落ちる。



誰かそういう人いなかったけ…って、このところ考えてた。

思いついても、遠くて会いに行ける距離じゃなかったり。

聞いてくれるであろう人は近くにいても、自分の心を開くことができるか自信がなかった。



だけど、気付いたらそんな夜を過ごして、朝を迎えてた。

目覚めたあたたかい布団の中で、
「あ、これってウルスラの家…」って思えた。



ありがたいなぁ。

ありがとう。

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