あーもー部屋に入ったら何もしないで真っ先にふとんにつっぷしてしばらくぼーっとしてからやることをやろう…とか思いながら疲れて帰ってきて、部屋に入ってカバンを置いて、よーし、おふとんおふとん…、と思ったそのタイミングでパソコンが目に入って、

「あ。でも『
今日のダーリン』を読んでからでもいいかもしれない。うん、糸井さんの言葉は“ふとんに、ばふっ”よりも優先度が高い、今この瞬間の私にとって」

と思い直し、仕事終わった時にはもうしばらく見たくないーと思っていたはずのディスプレイと向かい合う。


とりあえず『今日のダーリン』だけ…と思って読み始めたはずなのに、ふと気がつくと、更新された対談をいくつか読んじゃってたりして。

何よりもまず“ふとんに、ばふっ”したかった気分が消えたわけじゃないけど、なんだかんだで「読んでいる」自分がそこにいることに、ちょっと嬉しくなったりして。


ほぼ日刊イトイ新聞
、ほぼ毎日読んでます。
ブラウザのホームページに設定してます。
つまり、ネットにつながるとまず『今日のダーリン』を読みます。


自分が書いてるものが、なんなのかよくわかんなくて、わかってないで書いてるのってどうなのよ?わかってないとダメなんじゃない?わかってないとこれから先もっといいもの書けないんじゃない?とか、いろいろ考えてた時に(時に、というか、けっこうずっと考えてた)、ほぼ日でイトイさんの書いたものや話した話(を文字に起こしたもの)に出会って、

あ、別に「エッセイ」とか「○○日記」とかそういう名前とか括りなんてなくてもいいんじゃんね、あってもいいけど。

…みたいなことに気付いて、そっからもう、ほぼ日との付き合いは長くなりそうだなって自然に思いました。


断片的で、あまりにも「小さな言葉」であろうとも、とりあえず書いておく、書いてみる、この世に形として存在させてみる、とか、わかる人にしかわかんないかもしれないけど、もしかしたらわかんない人の何かにちょっと触れるかもしれないし、わかんないなりに読んでくれた人が何年も経ってから何かがつながってわかってくれるかもしれないから、書くんだ、とか、そういう感じをね、教わっています、いつも。


6月ですね。あと二十日もすると夏至です。
めっきり「こりあ」な話題がありませんが、
今日も☆なちこりあ☆に来てくれて、ありがとねー。