以前、私は完璧主義者で、いつも完璧を目指していた(すごく疲れた)。

夏目祭子さんは、その著書『ダイエットやめたらヤセちゃった』の中で、ダイエッターたちの、究極の目的は、やせた体の「冷凍保存」だ、と書いていた。
説明すると、理想の体を(その多くが、短期間で、苦労せず)手に入れることを目指し、そしてそれを手に入れさえすれば、そこから先は何の苦労もなく人生を送れる(もしくは送りたい)と思っている、と。つまり、それを維持していく過程が想像できていないということ。
なんとなく、身につまされる文章だった。

システムを設計し、開発し、保守するという仕事に携わってみて、一番自分の学びになったことは何かと聞かれたら、「メンテナンスの重要さを、感覚として身に付けたこと」と言うかもしれない。

人の手によって作りあげたものは、どんなものでも、必ず時間の経過とともに朽ちてゆく。プログラムも例外じゃない。朽ちてゆくというとイメージしにくいかも知れないけど、「現状に合わなくなっていく」ということかな。

社会は変化していて、システムを利用する人間も常に変化している。
だから、常に状況に応じて更新が求められる。

私は家庭の中でメンテナンスの重要性をあまり仕込まれずに(良くも悪くも意識することなく)育って来たのだと、会社に入って初めて気付いた。日々の、ちょっとした調整や、あまり意味のないかのように思える繰り返しが、時間を経てみると、とても重要な、不可欠な作業だったことに気付くということが、たくさんあった。


今、毎日の生活の中で、自分が暮らしていく場所を整える、ということが愉しい。
具体的に言えば、掃除、洗濯、料理、洗い物、ゴミ出しetc.
要は、家事だ。

愉しいと思える日もあるけれど、心底めんどくさいと思う日も、もちろんある。
掃除なんて、一生いたちごっこじゃないか…!!と途方に暮れそうになる日もあるし、これから死ぬまでの間に、自分は一体何食分の料理を作り、その後片付けをすることになるのだろう…とか思うと、気が遠くなりそうになる。せっかく洗って干して気持ちよく取り込んでたたんだ洗濯物を、次の日にはもう一日で汗まみれにしてしまってまた洗濯機に入れてたりすると、もうこの不毛さは何なんだ…!!とバカバカしくもなってくる。

完璧を目指し、「冷凍保存」を望んでいた頃の私だったら、この繰り返しにほとほと嫌気が差してしまったのではないかと思う。どんなに完璧に掃除をしても、料理をしても、洗濯をしても、またすぐに埃は溜まり、お腹は空き、洗濯物は積もる。

だけど、今はそんな繰り返しこそが「生きていく」を実感させてくれているような気がする。
途方になりそうになるのも、気が遠くなりそうになるのも、バカバカしくなってくるのも含めて、こうして「生きていく」んだなぁ、って。お母さんも、そのまたお母さんも、そのまたお母さんも、そうやって生きてきたんだなぁ、って。


変化に対応していくことが、生きていくこと。
そんな気がする。
今日は家事のことを書いたけど、その他の、あらゆることにおいても。

時間を止めたいと、完璧に作り上げることができたものを「冷凍保存」させたいと、そんな意識でいたら、「今、生きること」は、どこにもなくなってしまう。
めんどくさいめんどくさいと思いながらも、日々調整を繰り返して、変わっていく自分と付き合い、自分の身の回りをメンテナンスしていくから、コツコツと積み上がっていくものがある。

それこそが、“unique”な(つまり、宇宙の歴史上唯一の)、自分だけの歴史なんだ。