「子どもがひきこもりになったりすると、親は当然、心配します。心配のあまり、その子にかかりっきりになることもあります。ただ、あまりにその子ばかりに関わりすぎると、兄弟姉妹もひきこもり気味になったりすることもあると、『育て上げ』ネットの工藤啓さんから聞いたことがあります。」
(『子どもがニートになったなら』 玄田有史 小杉礼子 労働政策研究・研修機構
  NHK出版)

なーんか・・・
すっごいわかる、って感じ。
ここにきて。

小学校のときも、
中学校のときも、
高校のときも、
大学のときも、
会社員のときも、
全然そんな風に感じたことなかったのに。
(とりあえず意識の上では)

そう考えると、
うちの事情なんか知らなくても
私と出会って
仲良くしてくれたり
支えたりしてくれた人たちに
すっごくありがとうって思うなぁ。

でも、仕事辞めてみて、
本気で働きたくなくなって思ったのは
「なんか、ずるい・・・」

そんなこと言ったら、
私は大学まで行かせてもらったし
200万近くお金貸してもらって(もう全部返したけど)
やりたいこともやったし
親も姉も相当苦しんできたのも
想像はできるから
こんなこと言うのは理屈としては
間違ってるって
わかるんだけど・・・

でもなんで私ばっかこんな
生きていくために頑張らないといけないかなー
って思ったりする
理屈じゃなくてね

自立して
自分で生きていけるようになりたいとは
もちろん思うんだけど
そうなったらそうなったで
親にとっては一番都合がいいんだろうなと思うと
簡単にそうなってやりたくないって気持ちが
ある

今までいい子でやってきてあげた分
(それは無意識だったけどね)
困らせてやりたいって気がする
だけど
今までいい子でやってきたから
親を困らせたらいけないってのが染み付いてて
何をどういう風にしたらいいかもよくわかんない
あと、めんどくさい

ひきこもりの姉が
長年苦しみまくってきたであろうことも
想像するに難くないけど
今私が抱えてる苦しみが
その苦しみよりも軽いなんて誰にも言えないよね?
なのに私は
ケアされる対象にはなってない

もし今、家にひきこもりの人がいなかったら
たぶん私は思い切ってニートになってただろうな
って思う(親のお金で生活するって意味ね)

ひきこもり気味の弟がいる友達と話したときに
その友達が
大学時代に自分もひきこもったって話を聞いて
なんかちょっとうらやましかったもん

でも
もしも今本当にニートになったら
抜け出すきっかけを掴むのは
今この苦しい気分で
仕事を探したり始めたりすることの
何倍も大変でめんどくさいことに
なると思う

だから
いまだに家にひきこもりの人がいるのは
ある意味私にとっては
よかったのかもね

子離れできない親を
10年以上も(そうとは知らずに)
見続けてきたこともあるし
それを思うと
今更親の保護や干渉の下に入りたいとは
思わない

でも
だからといって
じゃあもう自分は自分で勝手に生きていく
って簡単に言えるわけじゃないのは
上に書いたとおり
ってか
話が戻ってぐるぐるだ

私のこんな気持ちを
姉が理解できないのはしょうがないにしても
「親の愛情を独り占めにしたってこと?云々」
っていう安直な発言をされるとげんなりする
そんな単純なことじゃないと思う
逆ギレされたりなんかした日には
どんだけめんどくさいんだ

現に
私は19年間
それなりに楽しく生きてきたし
こういう家庭状況だったからこそ
自分でできるようになったことや
考えられるようになった人の気持ちとかも
あると思うし
親の愛情だって
それなりに受け取ってきたと思うよ
(客観的に振り返ると
  わりとヘタクソな愛情だったかも
  とは思うけど)

じゃあ何なんだろうな
何がどうなれば私は満足なんだろうな
全然わかんないや
わかんなすぎて怖い
どうにかしないといけないのに
どうすればいいのかがわかんないって
怖い

あんま見ないようにして
突っ走ってきたから(振り返って思ったことだけど)
燃え尽きたのかも


あー
明るく生きたい