とりあえずお姉ちゃんのことは置いておいて
私は私の幸せを追求しようと思ってみるけど
すぐにそれが無理だと気付く
だましだましでいいならできるのかもしれないけど
心はいつも戻ってきてしまう

何か別のことに意識をそらしたり
注意して考えないように努めたりもしてみるけど
その不自然さにさらに不安が募る
こうしてる間にも何かできることがあって
それをやらないばっかりに後々すごく苦しい目に遭うんじゃないかとか
今でも十分苦しいんだけど

ネットで「ひきこもり きょうだい」って検索すると
同じように苦しんでいる人たちの言葉に出会える
そこで「心が晴れる日はない」という書き込みを見つけて
自分の気持ちを代弁してくれてるようだって感じた
楽しいことが何ひとつないって意味ではもちろんないけど
どんなに楽しいことがあっても
それを思い出すだけで暗い気持ちになることがあるって意味ではある

ひきこもりは100万人くらいいるとも言われていて
平均して2人兄弟(姉妹)と考えたとしても
ひきこもりのきょうだいも同数程度いるってことになる
なのに、「ひきこもりの兄弟姉妹の苦悩」をテーマにしているような本は
ひとつも見当たらない
マスメディア上の「ひきこもり問題」では
当事者個人の問題や当事者と両親の問題ばかりが語られていて
兄弟姉妹はまるで存在しないかのような扱いなんだ

同じ境遇の人たちの言葉を読んでいると
自分ひとりじゃないって思ってほっとするのと
状況の複雑さと苦しんでいる人の数に絶望的になるので
ボロボロ泣いてしまう
というか、わーわー泣いてしまう
子どもみたいに

そしてなんかもうろくでもないって気分になって
どうすりゃいいんだよって苦しくて
んじゃこんな検索しなきゃいいのにとかも思うんだけど
せずにはいられない
せめて何かヒントのようなものとか
励ましの言葉とか
こんなに苦しんでるのはおかしいことじゃないって確認とか

縋るワラがほしい

この記事はお姉ちゃんも読んでいて
もしかしたら私に責められている気になるかもしれないけど
全然責める気持ちはないから
それだけははっきり書いておくね

いま私は不安で不安で
とにかくその気持ちを誰かに聞いてほしいんだと思う
だから、書いてる

今までは
こんなことでわーわー泣くなんて、子どもじゃあるまいし
私がしっかりしなくてどうするんだ、みたいな気持ちが
あった気がする
子どものような言動をし続けるお姉ちゃんをずっと見てきて
私はあんな風にはなりたくないって思ってたのかもしれない
もしくは
お姉ちゃんがああしているうちは
私はああしちゃいけない、ああしない方がいいだろうなって
思ってたのかもしれない

でも、自分がニートになって
ひきこもり予備群(親和群ともいうらしい)になって
ひきこもりの人たちの言葉を読んでみたら
すっごい気持ちがわかって
そしたらお姉ちゃんに対しても
安易に何かを求めたりする気持ちもなくなったし
今まで気持ち全然わかってなくて(それはしょうがないんだけど)
ごめんね、っていうようなことは伝えた

それもあるのかな
もう別に、働きたくないって大声で言ったっていいと思うようになったし
すっごく人と会いたいのに会いたくない日もあって
それを矛盾してるからダメだとかも思わなくなったし
やりたいって強く思ってるのに実際できないこともいっぱいあるし
泣きたくなったらわんわんボロボロ泣く

それから最近、本を読んでると
その本を床や窓に無性に投げつけたくなるときがある
パソコンも
仕事してた時からそう感じるときあったけど最近特に
図書館で、本当にやってみようかなって気になったときすらある
そういうとき大抵
実家でキレてモノを投げて親に当り散らしてたお姉ちゃんを思い出して
なんかちょっとあれはうらやましいなとか思う

変なの
実際それを目の前で見てたときは
死ぬほどめんどくせーーーーって思ってうんざりしてたのに
なんでこんなことが私の人生で起こんなきゃいけないんだって
泣きたくなって、でも泣けなかったのに

退行かな
私も