書くのは疲れるけど、
書かないのもぐったりする。


昨日つくった根菜の味噌スープ。おいしいんだけど、おいしくない。
ごぼう、にんじん、だいこん、かぼちゃ、長ねぎ、こんにゃく、豆腐、しいたけ、生姜。
味付けは、醤油と味噌。仕上げに白すりごま。
前回つくった時は、材料はほとんど自然食品店で買った。
その頃はまだお金あったから。今回は一般のスーパーで買った。
びっくりするくらいアクが出た。ぶくぶくと。前回はほとんど出なかったのに。
ごぼうとにんじんが特に、なんとなく薬臭いような味がする。
自分の感覚でしかないし、今までにも食べたことはあるいわゆる「にんじん臭さ」「ごぼう臭さ」ではあるんだけど・・・。全然、食べられないほどってわけじゃないし、偏見から来るプラシーボ効果みたいなものじゃないのー?って言われたら反論もできないんだけど・・・。
でも、口に入れるたび気になる。
なんだかなぁ。
もちろん、感謝して全部いただくけど。
今度からはごぼうとにんじんだけでも自然食品店で買おう。
一般のスーパーで買ったら薬臭かった野菜で一番ひどかったのは、長いも。


「不立文字(ふりゅうもんじ)」という言葉を知る。
禅の思想で、言葉による伝達よりも、実践による悟りの体得こそが大切とする考え方のことだそう。
「言無展事(ごんむてんじ)」という言葉もあって、これは、言語は存在をそのままに、あますところなく提示することができぬ、ということらしい。
最近考えてることと近くて、ふむふむと思う。
言葉の持つ力の大きさを、ずっと、小さな頃から信じてきて、それはそれで正しくて、でも言葉の持つ限定性や限界にもやっと気付いて、言葉を過大評価しないようになりつつあって、これからも書くことは続けていくと思うけど、自分にとって言葉っていうものがどういう意味を持つものになっていくのかは、全くわからないなと思う。


せっかくの休みなのに、何か有意義なことをする気に全然ならない。
めんどくささと戦いながら、しなきゃいけない洗濯と掃除だけする。
夕方になって、本とDVD返却のためだけに外出。
たくさんの人間を見て、なんかホッとする。
日の長さと「寒くなさ」(暖かさ、ではない)に、春が近づいてるんだっけ、と気付く。


気を抜くとすぐ、「もう生きてくのが嫌だ。めんどくさすぎる」って気分になる。
間断なくわいてくる感情。
考えなきゃいけないこと。あるいは考えなきゃいけないと思い込んでること。
暮らしていくためのお金。仕事。
家族のこと。人間関係。
付き合い。情報。つながり。しがらみ。
将来。夢。可能性。責任。
繰り返していくこと。
振り返ればあっという間でも、実際に過ごしているその時はあっという間でもなんでもないこと。
なんとかやり遂げないといけないのか・・・。
どうしてこんなに心に余裕がないんだろう。