変なタイトル。
我ながら。

さて、何から書こうか。
正直このところ、自分の中で「言葉」に対する評価が下がっている。
・・・なんてことを言葉で書くことにも矛盾を感じたり。
それでも、言葉がなければ考えることはできないんだけど。
要は、自分が今まで「言葉」を過大評価してきた揺り戻しみたいなことが起こってる。


今、私の生活はできるだけ「無理をしない」ことを大切にしている。
体や心が「イヤだ」「要らない」「したくない」「しんどい」「今じゃない」って感じることを
ちゃんと尊重してあげようと思って生活している。逆もまた然り。
社会生活の中の人間関係においては、それで損してる部分もあるかもしれないけど、
自分ひとりが一日一日を生き抜いていくくらいだったら、
このやり方でも意外と迷惑はかけないで生活できているみたいだ。
「甘やかした自分がダメになってしまわないか?」と感じる人もいるかもしれないけど、
全くそんなこともない。
むしろ、今までの人生、あまりにも自分に厳しくしてきたことに気付いたからこそ、
やっとここにきて、自分を大切にしてあげようと思える地点に達した、といえる。

そんな毎日の中で、気付いたらベジタリアンになっている。
もともと3年くらい前からマクロビオティックの考え方を少しずつ取り入れて、
「ペスコ・ベジタリアン」(玄米菜食で、時々魚・乳製品・卵は食べる。肉は食べない)には
なっていたけど、3.11の福島第一原発事故が起こって、大量の放射性物質が環境に出てからは、
魚も乳製品も卵も、どんどん食べる量が減った。
時間が経てば経つほど、不安も増えるし、濃縮された放射能を口にしてしまう可能性も増すから。

だけど、食べたいのに我慢しなきゃいけない、という「無理」をしてる感覚はほとんどなくて、
まぁこれをいいきっかけと思って(もちろん全くもって“いい”きっかけではないのだけど)、
やーめたやめたっ、ってなぐらいのものだった。

そうして、玄米と野菜と海藻と、伝統的な方法で作られた良い調味料で料理したごはんを
食べてたら、さらに意外な気持ちが起こり、「よし、砂糖もやめてみよう」となった。
マクロビオティックでは、砂糖の摂取はできるだけ避けるべきもの、という考え
(特に、白砂糖などの精製された単糖類)。
甘みは、玄米甘酒や米飴、麦飴などの多糖類で摂るのがよいとされている。
そのことは知っていたけど、もともと甘いもの好きだった私は、市販のお菓子もやめられなかったし、
自然食品店で甘いものを買う時も、特に砂糖が入ってるものを避けたりはしてなかった。
それこそ「無理しない」「“ねばならない”で始めても、どうせ続かない」と思ってたからで、
もし砂糖の摂取を控えるなら、自然にそう思えるようになってからやらないと逆にストレスが
溜まって体と心に悪いとさえ思っていた。

つまり、自然にそう思えるようになったかもこれ?というような感覚がやってきたということ。
少し理論的に付け加えるなら、貧血がずっと気になっていたことと、
ホクロの数が少し増えてきたような気がしていたことも関係ある。

そう思ったのとどっちが先だったか忘れたけど、図書館でたまたま目についたこんな本を読んだ。
『ガンは食事療法で完治させなさい 5年生存率ではなく、完全治癒を求めて』
忠宣叡(ちゅうのぶあき) 徳間書店

私自身がガンなわけでもなく、私の身近にガンの人がいるわけでもなく、
以前だったら手にも取らない、背表紙が目に入ったかどうかもわからないような本。
だけど、数年後、十数年後、数十年後、間違いなくガンになる人は増えるだろう、
自分の身近な人、もしかしたら自分だってガンになるかもしれない、
そう思う気持ちから手にとってみた本だった。

内容は、
・現代の西洋医学では、ガンを完治させるのは無理。
  「5年生存率」という言葉がそれを物語っている。
・ガンを完治させたいと思うなら、食事を変え、根本的な治療をしなけらばならない。
というもの。
食事は、簡単に言えば《玄米正食》で、マクロビオティックの考え方とほぼ同じ。

現代の西洋医学が常識だと思っている人には、受け入れられない話なんだろうけど、
私個人としては、身近な人がガンになったら薦めたいし、
自分がガンになってもこの方法で完治を目指したい、と思う内容だった。
(マクロビを始めたあたりから、自分は生活習慣ではガンにならない自信があったので、
この「自分がガンになったとして・・・」という仮定自体が、自分としてはかなりショッキングだったのだが)

その本の中で、引用されてたまた別の本。
『死の同心円 長崎被曝医師の記録』
秋月辰一郎 講談社

「爆弾をうけた人には塩がいい。玄米飯にうんと塩をつけてにぎるんだ。塩からい味噌汁をつくって毎日食べさせろ。そして甘いものを避けろ。砂糖は絶対にいかんぞ」
という医師の言葉が印象的で、この本もまた、図書館で借りてきて読んだ。
爆心地から1400mの地点で自らも被曝しながら、薬も医療器具もほとんどない中で、
玄米のおにぎりと味噌汁で自分の病院の看護婦や患者たちを原爆症から守りながら、
被爆者の治療をし続けたひとりの医師の話。

『死の同心円』では、その理論については触れられていないけれど、
『ガンは食事療法で完治させなさい』では、
ガンも、放射能による障害も、「極陰」(強烈な遠心力・拡散力)の害であり、
「極陽」の塩を強くして食べさせることでそのパワーを中和することができる、
という風に説明されている。
マクロビ素人の私でも、「砂糖は陰性」ということは基礎知識としては知っていたので、
「砂糖は避けるべき」の言にもすぐに納得がいった。
なんかわからんがいろんなタイミングが合ったようなので、
とにかく砂糖の摂取を可能な限り控えるようにしてみている。
さて、糖分の燃えカスだと言われる、経絡に現れるホクロは、消えるのだろうか。
試してみる、というか、楽しみ、というか。



マクロビの話はこのくらいにするとして、
『死の同心円』という本を読んだことについて、もうちょっと書きたい。

原爆についての、しかも、被爆直後の爆心地での治療の記録などと言われると、
さぞや生臭くて、悲惨な地獄絵図が描かれ、読むのも一苦労だったろうと思われるかもしれないけど、
全くそんなことはなかった。

多少不謹慎で場違いな気はしたけど、私はこの本のほとんどを、食事をしながら読んだ。
食事をしながらでも読めるくらいには、吐き気を催すような凄惨な描写はなかったと言える
(もちろん感じ方の個人差はあるだろうけど)。
読む前は「これは原爆に関する記録なんだ。心して読まなければ」と気負う気持ちがあったけど、
実際読み終わった今は、そんなこと思う必要もなかったなと感じる。
むしろ、そんな風に「原爆に対しては、特別な気持ちで望まなければならない」という縛りが
あったがために、今まで原爆に関する本や資料を避けるように生きてきたことに気付いた。

だから、もっと軽い気持ちで読んでいい、というつもりもない。
やはり原爆は、重い。重すぎる。
ここで私が「重すぎる」なんて書くこと自体が相当軽い。それくらい、重いと思う。
だけど、その重さを言い訳に、結局、
「とても特別で、簡単に触れてはならないもののようになっている」ことによって、
触れられる回数が減り、広島でも長崎でも「夏の風物詩」になってしまい、
どんどん忘れ去られていくという現実ができている。
著者は最後にそれを指摘して筆を置いている。
それは、自分の実感とぴったり一致する事実だった。

「自分を大切にする」「無理はしない」ということと、今回のこの本の読み方は、
関係ないようで、すごく関係がある。
私は、この本を読んで、もしも自分が「ひどすぎる」とか「信じられない」とか「悲惨だ」「地獄だ」とか
思わなかったとしても、あるいは特に何も感じなかったとしても、
それはそれで別に構わない、と思って読み始めた。
小学校時代から連綿と受け続けてきた平和教育やら原爆に関する勉強によって、私(たち)は、
「原爆について見たり知ったりしたら、とにかく沈痛な面持ちにならなければ不謹慎」
ということも一緒に学んできた。
そういう態度を取らなかったり、「また原爆か」と言ったりすれば、非人間の扱いだ。
だから、まず浮かび上がる自分の本来の感情がどうであれ、悲痛な気持ちになるよう自分をコントロールしてきた
それが正解だと思って生きてきた。

だけど、「無理はしない」と思って生活している今、
自分の本来の感情を無視してまで、そのルールに則る必要もなく、
ただの読書なので、気を遣う必要のある相手も周りにいるわけでもなかった。
だから、「心して読まなければ」と思いつつも、食事しながら読めたんだと思う。
そして、今までにない「原爆についての読書」ができた気がする。


一医師の記録なんて言うと、カルテのような機械的で無味乾燥なものを想像するかもしれないけど、
これは立派な文学作品だ。後世に読み継がれるべき。
単なる記録文書ではなく、情緒と苦悩に満ちた、実存の随筆と言えると思う。

不謹慎を承知で言う。
面白かった。
長崎原爆の貴重な資料だからじゃなく、面白かったから、
多くの人に読んでほしいと思った。

もう言葉にあまり期待しなくなってきた私は、
人に本を薦めたり、プレゼントしたりするのもやめるようになった。
自分が自分の条件とタイミングで受け取った言葉が、
別の人にも同じように響くわけじゃない、ということがやっとわかったから。
だけど、今日この本を読み終わって、
薦めたくなってしまった。
それで、こんな文章を書いてる。


被ばく(被爆・被曝)と玄米食について知りたくて読み始めたのだったけど、
一番印象に残ったのは、著者である秋月医師の宗教観だった。
長崎という土地柄、カトリックのキリスト教徒が多く、
仏教徒である著者が働いていたのも元は神学校だった病院であり、
著者を取り巻く人々(看護婦や患者など)も、その多くがカトリック信者だった。

そんな環境の中で、彼は自分の宗教観を貫く。
ただ頑なに貫くわけではなく、常に考えながら、司祭や信者たちとも生活を共にする。
わからない時は、無理に答えを出さずに、立ち止まる。
それが、不義理になるような場面でも。
そのバランス感覚というか、問い続ける姿勢に、一本の芯を感じた。

私自身は、元クリスチャンで、キリスト教棄教者というアイデンティティを持っている。
そのことは、この本を読む上で結構重要だった。
私の中のキリスト教に対する嫌悪感や、それだけでは言い表せない複雑な感情、
例えば、どんな宗教も結局はどこかでつながっているものなのだ、といったような思い、
そういう曖昧模糊とした自分の宗教観のフィルタも使いつつ、
著者の持つ仏教的死生観も尊重しつつ、読んでいったので、
上手くは言えないが、思うところは多かった。


私がこんな風に、とある一冊のエッセイとして読めたことは、
自分自身の(「無理をしない」という)変化もさることながら、
私自身が「ヒバクシャ」になったということも関係あるのだろう。

広島や長崎の「被爆者」と比べたら、比べる意味もないくらい無傷で健康かもしれない。
イラクで劣化ウラン弾によって白血病になった「HIBAKUSHA」の子どもたちと比べても、
どう考えても今の私は幸福でお気楽だろう。
だけど、私たちは被曝した。
その事実はもう変えられない。
まだ、この先どうなるのか、誰にもわからない。
事態は進行中だ。

私は玄米を炊けるし、ひじきも切干大根も高野豆腐も美味しく煮れる。
味噌も作ろうと思えば作れる。
にんじんも、かぼちゃも、たまねぎも、工夫しておいしく調理して、楽しく食べることができる。
だけど、その、玄米も、ひじきも、大根も、大豆も、
にんじんも、かぼちゃも、たまねぎも、
どれひとつとして、それ自体を作り出すことは、私にはできない。
私だけじゃなくて、どんな人間にもできない。
それをつくってくれる、土を、水を、
私たちは汚してしまった。

被爆者に「私たちだけにしかわからん」と言われたら、黙るしかなくなる。
ずっとそうだったし、だからこそ、原爆に関することには近寄り難かった。
だけど今、望んでいたわけじゃないけど、「私たちだけにしかわからん」事態が、
歴史上初めて起こってしまっている。
それはとてつもないことであると同時に、そのほとんどが目に見えないことだけに、
全く変わらないかのように見える日常も同時に過ぎていく。
その、「非常事態、だけど日常」が何ヶ月も続く感覚は、私が生まれて初めて知ったものだ。

『死の同心円』を読んで、その記録の中に流れる「非常事態、だけど日常」を感じた。
感じることができたのは、自分の中に経験ができたからだと思う。


もっと原爆に関する本を読んでみるかもしれない。
秋月先生ほどの読みやすさは、期待できないかもしれないけど。
言葉によって伝えられるものには、限界があるけど。