泊原発3号機が止まった。
献杯をしたい気分だ。
今日止まるということは、忙しい中でもそれなりに意識してたけど、朝のミーティングで吉岡さんが「今日は日本という国にとっても、世界にとっても、歴史的な日になる」という話をした時に、自分の内側の感覚がぐわっと3月30日以前に戻って、泣きそうになった。
3月30日は、私が船に乗ることが決まった日。
その日、私は自分の中にあった基準を変えることを決めた。
原発事故以来、できるだけ放射能の影響を受けないために(特に内部被曝について)、外食も控え、自炊の食材も事故以前の玄米を買い溜めして炊いたり、野菜も影響の少ない西のものを選ぶようにしたりして、とにかく毎日、放射能と原発のことばかり考えてた。
考えてただけじゃなく、とにかく自分にできることをしようと思って、デモに行ったり、経産省前に抗議に行ったりもした。
大飯原発の再稼働に反対の意思を表示してくださいといくつかの自治体の首長にハガキを出したりもした。
舞い上がる道の土埃に含まれるセシウムが怖くて、毎日外出時はマスクをしてた。
あの3月11日以降、本当に毎日が原発・放射能を憂う日々だったと言っても過言じゃない。
私のツイートをフォローしてくれてた人なら、それは誰もが肯くことだと思う。
だけど、船に乗ることになって、たぶんこれからの日々は、その水準を維持できないだろうなと思った。
スタッフ仲間との仲を深めるためにランチとか飲み会とか行くに決まってるだろうし、私だって(被曝のこと気にしないでしむなら)そりゃ行きたい。
出航までの日々は、近年稀に見るくらいに忙しくなるであろうことも想像がついたし、そうなったら、自炊の時間や買い物の時間が減る→外食や中食や買い食いが増えざるをえない、ってことも予想できた。
自分がその時持っていた基準からしてみたら、それは許し難いことというか、是が非でも避けたいことの類だった。
そういう生活をしなきゃいけないかもしれないリスクから少しでも逃れたくて、大阪に行くつもりだったんだからね。
気にしたままで生活だけが変わったら、頭おかしくなってしまうんじゃないかと思った。
だから、基準を緩めた。
リミッターを解除した。
自炊もできる範囲では続けたけど、フツーに外食もして、産地を確認せずに中食や買い食いもするようになったし、そのこと自体をあんまり気にしないような自分になった。
頭と心と体のできる限りの部分を船に向けて動かしていった。
大袈裟かもしれないけど、それは3月30日以前の自分からしてみたら「いのちを削ってる」としか言いようがない感覚の生活で、時々ふと「我に返ると」何とも言えないイヤ〜な気持ちになったりもした。
だけど、もしもこのことが原因で後々悔いるようなことがあったとしても(私自身が病気になるとか、子どもが健康体じゃなく生まれてくるとか)、その時は全て受け入れようと思えたからこそ「未来なんてわからない。けど、今この道を選ばなかったら後悔する」と思えたんじゃないかなぁと思う。
単なるセンチメンタリズムかな?
いや、違うよね。
明日死んでも後悔しない生き方を、って思ったのかなぁ…。
放射能をあんまり気にしなくなった生活はかなり楽で…こりゃあみんな気にしなくなるはずだわ…ということも感覚的にわかった気がした。
それを是とは未だに思わんけどね、でも、「とても理解できない」と思ってた人の気持ちが理解できるような気になれたのは、歩み寄りという視点で見たら、一歩前進なのかもしれない。
LIVING IS EASY WITH EYES CLOSED
そんなフレーズが頭に浮かぶ毎日だった。
日本を出航してしばらくしてしまえば(日本で積み込んだ食材がなくなる頃には)、3月30日以前の基準の私で、「あー!やっと気にせずに生活できる場所にやっと来れた!」と思えるんだろう。
ありがたくて、そしてまた考えることがいろいろある心境になりそうだ。
LIVING IS EASY WITH EYES CLOSED
のフレーズが浮かんだのは、
Strawberry Fields Foreverが好きだからってのもあるけど、
それに加えて『LOST』でチャーリーがタトゥーを入れてたのがすごく印象的だったから…というのは完全な余談です。
おやすみなさい。
(2012/05/06 01:09)
献杯をしたい気分だ。
今日止まるということは、忙しい中でもそれなりに意識してたけど、朝のミーティングで吉岡さんが「今日は日本という国にとっても、世界にとっても、歴史的な日になる」という話をした時に、自分の内側の感覚がぐわっと3月30日以前に戻って、泣きそうになった。
3月30日は、私が船に乗ることが決まった日。
その日、私は自分の中にあった基準を変えることを決めた。
原発事故以来、できるだけ放射能の影響を受けないために(特に内部被曝について)、外食も控え、自炊の食材も事故以前の玄米を買い溜めして炊いたり、野菜も影響の少ない西のものを選ぶようにしたりして、とにかく毎日、放射能と原発のことばかり考えてた。
考えてただけじゃなく、とにかく自分にできることをしようと思って、デモに行ったり、経産省前に抗議に行ったりもした。
大飯原発の再稼働に反対の意思を表示してくださいといくつかの自治体の首長にハガキを出したりもした。
舞い上がる道の土埃に含まれるセシウムが怖くて、毎日外出時はマスクをしてた。
あの3月11日以降、本当に毎日が原発・放射能を憂う日々だったと言っても過言じゃない。
私のツイートをフォローしてくれてた人なら、それは誰もが肯くことだと思う。
だけど、船に乗ることになって、たぶんこれからの日々は、その水準を維持できないだろうなと思った。
スタッフ仲間との仲を深めるためにランチとか飲み会とか行くに決まってるだろうし、私だって(被曝のこと気にしないでしむなら)そりゃ行きたい。
出航までの日々は、近年稀に見るくらいに忙しくなるであろうことも想像がついたし、そうなったら、自炊の時間や買い物の時間が減る→外食や中食や買い食いが増えざるをえない、ってことも予想できた。
自分がその時持っていた基準からしてみたら、それは許し難いことというか、是が非でも避けたいことの類だった。
そういう生活をしなきゃいけないかもしれないリスクから少しでも逃れたくて、大阪に行くつもりだったんだからね。
気にしたままで生活だけが変わったら、頭おかしくなってしまうんじゃないかと思った。
だから、基準を緩めた。
リミッターを解除した。
自炊もできる範囲では続けたけど、フツーに外食もして、産地を確認せずに中食や買い食いもするようになったし、そのこと自体をあんまり気にしないような自分になった。
頭と心と体のできる限りの部分を船に向けて動かしていった。
大袈裟かもしれないけど、それは3月30日以前の自分からしてみたら「いのちを削ってる」としか言いようがない感覚の生活で、時々ふと「我に返ると」何とも言えないイヤ〜な気持ちになったりもした。
だけど、もしもこのことが原因で後々悔いるようなことがあったとしても(私自身が病気になるとか、子どもが健康体じゃなく生まれてくるとか)、その時は全て受け入れようと思えたからこそ「未来なんてわからない。けど、今この道を選ばなかったら後悔する」と思えたんじゃないかなぁと思う。
単なるセンチメンタリズムかな?
いや、違うよね。
明日死んでも後悔しない生き方を、って思ったのかなぁ…。
放射能をあんまり気にしなくなった生活はかなり楽で…こりゃあみんな気にしなくなるはずだわ…ということも感覚的にわかった気がした。
それを是とは未だに思わんけどね、でも、「とても理解できない」と思ってた人の気持ちが理解できるような気になれたのは、歩み寄りという視点で見たら、一歩前進なのかもしれない。
LIVING IS EASY WITH EYES CLOSED
そんなフレーズが頭に浮かぶ毎日だった。
日本を出航してしばらくしてしまえば(日本で積み込んだ食材がなくなる頃には)、3月30日以前の基準の私で、「あー!やっと気にせずに生活できる場所にやっと来れた!」と思えるんだろう。
ありがたくて、そしてまた考えることがいろいろある心境になりそうだ。
LIVING IS EASY WITH EYES CLOSED
のフレーズが浮かんだのは、
Strawberry Fields Foreverが好きだからってのもあるけど、
それに加えて『LOST』でチャーリーがタトゥーを入れてたのがすごく印象的だったから…というのは完全な余談です。
おやすみなさい。
(2012/05/06 01:09)