やっぱり、長いです。
 
 
日記、最後まで読んでくれた人、ありがとう。
 
 
色んな人に聞かれて何回も説明したことだけど、
知らない人もまだまだいると思うので、
私が今回の船旅に参加した経緯を書いておきます。

初めてパッセンジャーとしてピースボートに参加したのが、7年前。
第52回クルーズでした。
2005年12月26日〜2006年3月30日という日程だったこのクルーズは、
78と航路もすごく似てる「南回り」。
しかもクルーズディレクターも、平山雄貴(雄貴の初CDクルーズ!)。
大学を休学して乗ったこの船で、私はブッカーチームに入ってて、
そのブッカーを担当してたのが、古川あっちゃんでした
(その頃からスパイダーマングッズ集めてたよ!)。

52回を降りる時、スタッフになろうかとけっこう本気で考えました。
誘ってくれたスタッフもいたし。
でも、親にけっこうお金借りてたから、それを返してからにしよう、とか、
一回新卒カードを切って一般企業に勤めてみてからにしよう、とか、
いろいろ考えて、そのタイミングでスタッフになるのはやめました。
今でもその選択は正解だったと思ってます。
でも「いつかはなるかもしれない」って、思ってはいた。ずっと。

その後は、地元のシステム会社でプログラマを3年、
実家を出て、一人暮らししながらニートを7ヶ月、
小さな大学の図書館で司書の補佐みたいなアルバイトを1年4ヶ月。

図書館で働いてる時に3.11が起こって、
とにかく原発事故の経過と放射能の汚染状況を気にしまくりながら
毎日を過ごしてた。
それが「神経質」だったのかどうかは、未だにわからない。
もっと時間が経ってみないとわからないかもしれない。
とにかく、「汚染」されてしまった関東にいるのも嫌になって、
関西に引っ越そうと思い、仕事もやめて、部屋も引き払おうとしてた、2012年3月…。

あっちゃんから、
「今76の新聞担当を探してるんだけど、なちこどうかなーと思って」って
電話がかかってきました。
契約スタッフで、かつある程度文章が書ける人、という条件でした。
あっちゃんは、私が書いているブログをよく読みに来てくれていたのと、
あとは52の時に一緒にブッカー作ってた感覚で判断してくれたんだろうねー。
「乗りたい!」と思い、その2日後には、CDと面談。そして正式に決定。
結局関西には行かず、準備期間を経て、76回クルーズに乗りました。
2012年5月8日〜8月17日でした。

この76回がね、また素晴らしくて…!!
もちろん、むっちゃ大変だった。
初めてのスタッフ乗船だから、わからないこともたくさん、
初めての新聞局長だから、思い通りにいかないことだらけ、
たくさん泣いたし、愚痴も言ったし、しんどい時も多かったけど、
それでも、「やっぱ船って最高!」って思える、本当にいいクルーズだった。
たくさん、大事な人と出会えた。

76を降りる前に船の上で、またスタッフになる可能性も考えたけど、
ワーホリに行ける最後のチャンスを逃したくなくて、
またしても「このタイミングじゃない気がするな〜」と判断。
ただ、その時すでに発表されてた82回クルーズ(ショートクルーズ)には
スタッフとして乗りたい!と思ってたので、それは担当者に伝えておいた。

76降りて、割とすぐ82に乗ることは決まって、
その準備+それまでの生活費稼ぎのために東京ピーセンでバイトをしてたんだけど、
その時に、78のクルーズブースにいた雄貴がそろ〜〜っと近づいてきて、
「12月以降の予定って、決まってんの?」。(笑)
78の新聞担当は、実は別の人が決まっていたんだけど、事情があってその人が
乗れなくなってしまい、雄貴は必死で代わりの人を探してたんだよね、その時。
で、「誰か新聞できる人おらんかな〜」って思ってたら、目の前に私がいたらしい。

そんな経緯で、78にも誘ってもらえたわけですが、
最初に話を聞いた時は、むっちゃ迷いました。
76でスタッフ乗船の大変さを知ってしまっていたから。
てか、今書いてて思い出したけど、本気でむっちゃ悩んだんだった、そう言えば!!!
いやー、決断した自分に改めて拍手を。
しかも、12月1日〜9日の82に乗ってかーらーの、78、地球一周ですからね。
よく誰も「そんなの無理だ!やめておけ!」って言わなかったもんだよね。
出航前に、4枚(2つのクルーズの、創刊号と第2号)つくってたんだよー!?
このへんの話は、いくらでも長くできるので、聞きたい人は個人的に〜。
あ、でもひとつだけ。最終的に決断の鍵になったのは、
やっぱり「私にできるなら、雄貴とあっちゃんの役に立ちたい」っていう
52の恩返しみたいな気持ち(そして、78で出会う人たちにペイフォワードの気持ち)だった。

とにかく、そんなこんなで、78回に乗ったわけでした。
 
 
日記の端々に表れてたと思うけど、とにかく私は今回の船旅を76とずっと比べてた。
2回目のスタッフ乗船者は、比べちゃうもんだってのも聞いてたし、
比べたら苦しくなることがあるってのも想像してた。
だけど、比べたくなくても頭が勝手に比べちゃうし、
「比べちゃだめだ」って自分を責めたくなかったら、
苦しさも含めて、76で得たものをちゃんと持ってやっていこうって思ってたんだ。
だって、76の思い出があったから乗り切れたこともいっぱいあったもん。
思い出だけ思い出して、比較対象にはしない、なんてレベル高いことできなかったし。

あまりにも76が自分の中で特別すぎて、
相対的に78が大事じゃなくなりそうな時もあって、
それはそれで78のメンバーに失礼だよなーとか思った時も数知れず。
あとは、78が76を越えちゃうのが怖かったのもある。
あんなに大事な76の思い出が霞んじゃうんじゃないかって。

でも、どっかのタイミングで
「76あってこその78だから、
 たぶん自分の中で78が76を越えたとしても、
 76の特別さは変わらない」
って思えたことで、変わっていったかな。

2月10日に書いた「新月の願いごと」の3番目は、
「78回クルーズが終わった時に、
 78も76も比べられないくらい『乗ってよかった』と思えますように」。
ちゃんと叶った☆
 
 
地球を一周しながら、学び、遊ぶ船の新聞局長。
ふと、これって「世界でたったひとつの仕事」だなぁって思った時があって、なんかとても誇らしかった。
そんな仕事を2回も経験させてもらえたこと、たっくさんの人に本当に感謝しています。
特に、一緒に102日間を乗り切ったスタッフの仲間たち(どっちのクルーズもね!)、
本当に本当にありがとう。
 
 
ここまで読んでくれた人、ひと言でもいいから、感想聞かせてねー。
物書きのエネルギー源はそこなんですから。
言葉のドネーションよろしく!

みんな、ありがとう( ´ ▽ ` )